そういえば昨日は 9月11日だった。同時多発テロからもう十年。いやアメリカでの11日は、日本では12日だから十年前の朝だ。あらゆる思考の変化をもたらしたのがあの日だと考えられているからか、大震災の 3月11日も、3.11 と呼ばれるようになっていた。自分にはどうもこの日付の呼び方で流行していく感じがしっくりこないが、どちらも 11日というところに意味を重ねて見てしまうのは仕方がないと思う。
十年目に何かをしようとするテロリスト達もいただろう。報道されていないだけで、水面下ではたくさん捕まっているのかもしれない。そして警備の強化や、中東圏への迫害など様々な歓迎されないことは起こっているはず。グラウンドゼロでの式典があったと聞く。
日本では別の陰謀説も多く語られているが、真相は分からない。たけしのテレビで取りあげられるくらいなのは「真相は分からない」という結論で着地してしまえるからだろう。つまりは他所の国、アメリカの出来事を日本で語るからである。
それは福島第一原発の事故について、アメリカの報道が、あれは水素爆発ではないと報道で言うことができるのと同じだ。
自国の報道がリスキーで、そこまで踏み込んでいけない。十年経ち、そうやって守っきたものは、何だったのか。
戦争にまでして、もっとたくさん失っていたのではないか。
そして日本のこれから十年は。