連句において、先の句を受けて繋げることを「付く」と言う。イメージをどう引き伸ばすか、あるいは真逆に返していくのか「付く」ことは重要である。他者の句をどう読むかが試される。
連詩として展開したとき、この要素は「詩は誰に向けて書かれ、はたしてそのように読まれているのか」という現代的な課題を露にするのだった。
「連詩の愉しみ」(著,大岡信/岩波新書/1991)にそうあった。
そして連詩は、皆で一つのテーブルを囲み、長い時間をかけて綴り合うらしい。その場では、詩とは閉じられた孤独空間で書くものだという牙城が破壊される。
個がその極地から あらわれるのだ。
最終章に書かれた「自由な創造性交換の場」という小見出しがいい!