上野駅から電車に乗って水戸駅へ、駅前で黄門様一行らの像を撮影し、バスに乗って水戸芸術館に着く。「ツェ・スーメイ」個展を見る。
知的な皮肉感があって、愛情があって、おおらかな美意識だ。鋭さよりも優しさを思う。
一作家が制作をし続けるということは、個性的なスタイルを打ち立ててそれを踏襲していくというように見られがちだが、その認識は間違いだろうということも思った。
少なくともそれを目的にするとおかしなことになる。
どこかで聞いたことを返しているだけではないかと自分を冷ややかに捉えて、話をしたい。
芸術館を出て、食堂でラーメンとかんぴょう巻きにあんドーナッツを食べていたら、正午を過ぎて おじさんのサラリーマンで満員になった。そこから少し歩くと「水戸黄門さんおしゃべりパーク」なるものを発見する。水戸黄門の像の横に大きな印籠の形をした機械があり、丸ボタン型のスイッチがある。押すと、「そんなに急いでどこへいくんだい。ここいらで休んでいきなさい。人生、焦っても、焦らなくとも、結果は同じ。格さん、梅の花を見に行きましょうか。」などと、黄門節の音声が流れた。
それからもたくさん話をしながらの おしゃべり行脚は、新宿に戻って高速バスに搭乗し、名古屋に夜中着いたのでありました。
http://www.arttowermito.or.jp/art/modules/tinyd0/index.php?id=6