駅へ迎えに行く僕が持っているのは、いままで二人で撮りためた写真。そういえば電車よりも恐ろしく日々は速かった。悔やむ間もなくいまは向かわなければいけないし、悔やむこともない。日々がなければいまの姿もなかっただろう。走り続けている者との距離はどんどん離れていく。電車と自転車、いやジェット機、それも自家用か、次から次へと美醜を巡り歩く。
夜はいつもの居酒屋でどーすりゃいいんだろう?と笑ってみる。また電車は出て行った。迎えに来てくれるパートナーのこと、待ってくれているパートナーのこと、愛しているのだろう。自分と同じくらい。二人分の切符を買っている姿はほほえましいと思う。どちらかが運転して、助手席で足を伸ばしていたっていい。二人で撮りためた写真を鞄に詰めて、僕は日々の話がしたくなった。外が明るくなるまで座っている。始発は出たか。コンビニにていつでもお酒が買えるこの国では、電車にいつでも乗れると思えてしまう。