日曜日, 5月 31, 2009

乾けば吹き返すように

さよならは SAYONARA かもしれないし、サヨナラかもしれない。
僕にとっては さよなら と聞こえた。

徘徊の先に古本と喫茶店がいっしょになったお店を教えてもらう。いままで歩き回ったいくつかのお店も思い出す。素敵なお店で、また来ますと失礼しますと言う。

段ボールを抱えてそこまで歩いて、帰りには月刊ポエムなどを持ち帰っていた。76年の11月号、すばる書房刊、ビートルズ特集を見つけた。

その帰り道に電話をしながら歩き、戻ったのちに雨に濡れた詩をゆっくり伸ばす。
破れないように。
乾けば吹き返すように。

ビートルズ特集はほとんどジョンとヨーコの特集になっていた。

http://www.youtube.com/watch?v=EqP3wT5lpa4&feature=related

土曜日, 5月 30, 2009

人は置いていくことを覚えた獣

また光庭へ出て、雨が降る前に愛の前を読む。
三時、背を伸ばすと見えるアンテナに向かって。
人は置いていくことを覚えた獣。

紙は次の雨で水浸しに浮いたくらいだ。
同じくらいくたくたになって
すぐ寝てしまった。
無料ゾーンの長い木のベンチに座っていたら、詩の前に立ち止まっていた方が
さよなら
と言ってくれた。

真夜中にごそごそ置きて、美術館に借りた傘をさしてコンビニへ。土砂降りの金沢。タイアップ企画でエヴァンゲリオンのパンとかで店内が埋まってる。
名古屋は降っていなかったと写メをもらう。
四本足で歩く牛柄の猫だ。

金曜日, 5月 29, 2009

つがいの鳥

おめでとうと言っている方が泣けてきてしまって
路上で転がる皆の気持ち
自分だけが大切だった獣たち
空っぽの船内をスライドショーで見せてもらう
鳥の羽根を両の手に当てて挿絵は描かれた
駅の構内にある喫茶店の屋上の縦に先を横切るつがいの鳥
鳥の影を写そうと身構える私たち

木曜日, 5月 28, 2009

詩集を送り、脱皮す

CV の書き方の指南書が売っているなんて知らなかった。
先輩に質問して教えてもらった方法をずっと応用してきただけで、こないだもそれを二人してめくり合っていただけだったから、改めて活字になっているとすっきりする。正誤を抱えて勉強する。発表履歴は新しい方を上にして書く欧文式に合わせるとすると、学歴なども上下逆にするのだろうかと、先生といろいろひっくり返して調べる。精査できるまでに行かねばいかん。画集のように CVを、そして作品たちを紹介したいと話していた。
詩集を送り、脱皮す。
拝啓、読んで頂いていかがでしたでしょうか。

水曜日, 5月 27, 2009

美醜を巡り歩く者

駅へ迎えに行く僕が持っているのは、いままで二人で撮りためた写真。そういえば電車よりも恐ろしく日々は速かった。悔やむ間もなくいまは向かわなければいけないし、悔やむこともない。日々がなければいまの姿もなかっただろう。走り続けている者との距離はどんどん離れていく。電車と自転車、いやジェット機、それも自家用か、次から次へと美醜を巡り歩く。
夜はいつもの居酒屋でどーすりゃいいんだろう?と笑ってみる。また電車は出て行った。迎えに来てくれるパートナーのこと、待ってくれているパートナーのこと、愛しているのだろう。自分と同じくらい。二人分の切符を買っている姿はほほえましいと思う。どちらかが運転して、助手席で足を伸ばしていたっていい。二人で撮りためた写真を鞄に詰めて、僕は日々の話がしたくなった。外が明るくなるまで座っている。始発は出たか。コンビニにていつでもお酒が買えるこの国では、電車にいつでも乗れると思えてしまう。

火曜日, 5月 26, 2009

Here I go'round the poem.

ムーンライダーズ、「Come up」(作詞,曲、かしぶち哲郎/2009)を愛聴している。
先のライヴで限定販売されたアルバムの流れで、最終曲のこれは、一月に一曲ずつネット配信されるシリーズの最終六ヶ月目にあたっていた。別テイクなどでこれをまとめた限定アルバムは六曲入りである。六ヶ月分が一気に集積した名前は「Here we go'round the disc.」だった。
残りの半年は生でのライヴにあけくれるようで、八月はお台場で WORLD HAPPINESS なるフェスにも出演するらしい。大人の顔ぶれが凄い。僕は八月、徘徊の日々だ。既にフェスははじまっていて、毎週のように顔がぶれずに会っている。ぶれではなくてこれは震え。声を出す前の震え。
Come up!
Come up!
Come up で
Spiral!

http://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewAlbum?id=314014252&s=143462
http://www.world-happiness.com/

月曜日, 5月 25, 2009

コンテクスト

「映像メディアのコンテクスト -メディアセレクト2009」がはじまっていた。
気持ちの媒介は何にて為されるか。
インド料理屋で1500円食べ放題。カレー、ナン、サフランライスにバーベキューも二つ出てくる。食べ物は気持ちを媒介してくれるかもしれない。光る映像。反射し、聴こえてくる。コンテクストを常に帯びている。読もうとするのは力だ。

http://www.nua.ac.jp/prog07/details.php?key=1345

日曜日, 5月 24, 2009

反射をはじめる

はじめて光庭に出た。
ここでは声が上に行く。
行き交う人、立ち止まる人、詩を読む人、私たちが反射する。
反射のすえ、言葉は拡散せず一点に凝縮していくように。

名古屋へ向かうバスの中で「鉛筆だけが帰ってくる」の写真を見ていた。

土曜日, 5月 23, 2009

私、あなた、私たち。

去る気持ちは、去りながら語られているから
ここにいる私には聴こえない。
私たちはその前に話すべきなのだ。

川崎和男、講演「いのち・きもち・あい・かたち」の会場に入った。
意志に溢れた強靭なる言葉が胸を撃った。
私、あなた、私たち。

それから私は「私たち」という言葉から読む。

金沢まで来てくれた小松氏らと夕食。おでんを食べながら少しだけビール。展覧会と詩集の話。私がオープンマインドになることから、私たちのオープン・ダイアローグははじまっていくと話す。

http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/kazuokawasaki.html

金曜日, 5月 22, 2009

山を上るために

君は雨のなか一人で立っている。
僕は画面に「日向」と打ち込んでいた。
猫は窓の前ですやすや
温かくなってる。
お茶を煎れることができるよう、傘をさしながらの自転車滑走。
山を上るために 今夜はもうおやすみ。

壁の端に行くことなんてしないで
机の上に体育座りなんてしないで
両手が塞がって携帯に出れない
だから速く漕ぐだけ。
キャットフードを買ってきてくれていた。
鼠一匹食われずに
のうのうとイヤホーンで何も見えず
ヘッドライトも付けずに
すべてかき消されないように。
雨のなか曲を選んでいる。
「日向」は走査線から目詰まり気味のノズルへ身を移す。

木曜日, 5月 21, 2009

風が傘をバラバラにしていく

政治家は飛び跳ねてる。握って離さない傘。
詩人は忘れ物の傘を借りていく。雨に濡れた紙。
バスを降りたとき
風が前から吹きつけて
二人とも振り返ったが
定刻に出て行かれた。
車体の向こう側にあった混沌。
風が傘をバラバラにしていく。



水曜日, 5月 20, 2009

二人だけの言葉

二人を引きずり込ませる二人。
言語が通じない国でも、二人は二人だけの言葉を話すことに慣れて、
とうとう二人だけの言語を作ってしまった。
ニャーニャーニャーと猫が餌をねだっている。
実はトイレの砂を変えろと言っているのだけれど
二人はどちらも取り分けてやっていた。
言語は通訳を取り交わされたけれど、二人だけの言葉は無くならない。
うんと濃い猫のお腹の毛の原っぱに顔をしずめよう。
合鍵は無くて、国はいくつもある。
二人でチケットを分け合う。
どこに行くかを話してる。
二人だけの言葉が通じるところ。
塀と塀の間へ引っ込む、猫の尾っぽの残像。

火曜日, 5月 19, 2009

乾いた足音がする

昼過ぎから夜にかけて、風人さんが来られてお話をした。
部屋の隅で、ここはああすればこうなるかもとナイフをいろっているうちに
色彩と形状の痕跡がぼとりと落ちる。
掃き溜めを飛び越える骨の部屋。
笑い声は誰のものか。
拍手は私達による。
壁は白くあろうとして、まだ水がつたう。
乾いた足音がする。

http://www.futoakiyoshi.com/

月曜日, 5月 18, 2009

13 Most Beautiful

所在無さげな顔をして座っているパソコンの前。去年と同じく先生は探る。土はまた上からかけられたように見えるが、掘り返されたぶん、実は柔らかいのではないかと思う。

「13 Most Beautiful」(1964-66撮影)は、アンディ・ウォーホールによるカメラテストのような映像作品だった。この頃 発売された DVD にはヴェルヴェット・アンダーグラウンド調のBGM が付け加えられていて、その面白さを薄めている印象だ。
ただ こちらを見ているだけの顔、誰か、カメラの向こうの誰かに向かっている。
例えば誰かにカメラを向けるだけでこれだけの存在感を皆が示せるだろうか。

YouTube にて模倣映像をいくつか見るが、全くどれも グッとこない。
おそらくは構図が引き過ぎなのと、デジタル画質及び 個々の間の悪さだ。
自分はこれをしてカメラの前にいるだけという気持ちが足りない。
Beautiful は両者による。
所在無さげで貫けば鮮やかであろう。

http://www.youtube.com/watch?v=EzOtZg_Zrow

日曜日, 5月 17, 2009

いつものドアをあける

岐阜駅周辺から玉宮町界隈に点在する店舗、公共施設で行われていた
「よりみち・プロジェクト いつものドアをあける」を見に行く。

いままで無かったものやことが まちなかに置かれること
その凄さが、静かにあって、風景がどこも豊かに見えてくる。

雨が神社やその界隈、ギャラリーから駅前までみんな降り注いでいた。
降り方なんて知っているのに、
新しいのか古いのかと問いかけたと同時に、見えてくる。

http://homepage1.nifty.com/caption/homepage/door.htm

土曜日, 5月 16, 2009

今日は一日雨でとりとめなく思い出し書く

お昼前に、バンに乗せてもらってお隣の一宮市にある ギャラリーDebut に、真峰英子さんの個展を見に行った。
しっとりとした絵筆が重なる。
今日は一日雨でとりとめなく思い出し書く。

お茶とお話を。
最近買ったというカメラは格好良かった。
そのまま布袋へ走ってもらい、Space+の 西出真美さんの個展「コントラスト」を見る。絵の展示だと思っていたら、絵から派生していく毛糸の空間展示があった。オープニングに行われたというライヴペインティングの記録写真を見せてもらう。身体ごと壁にぶつかって画面をつくっているように見えた。
車を降りて、今度は名鉄電車から地下鉄で名古屋市内の栄へ。クリスタル広場で落ち合い、携帯の電池が切れそうだというので近くの au ショップで無料充電をセットし、アーバンリサーチという服屋さんの三階で行われていた 田島秀彦「楽園の少年」展を見に行く。おそらく元店舗スペースやケースを活かした展示も、この作品のためにあつらえたのかなと感じさせる自然体のさりげなさが素敵だった。
本郷まで出るので、土日エコきっぷを利用して一駅向こうの藤が丘まで足を伸ばし、電車高架下にできた はらドーナッツというお店に行く。喫茶スペースも併設されていて居心地が良い。電車が通る度に部屋全体がゴゴゴと揺れる。夢国世喜屋を思い出す。ゴゴゴとふわっとドーナッツ。時間があればもっと座っていただろう。
店の前の小道に大学生サークルらが傘をさして横に並んでいた。近くの飲み屋にゲストか先輩がいるようで、その出待ちをしているみたいだった。なんとも封建的に見えて、たいへんだなぁとお節介にも思えた。
本郷に移動し、L Gallery F1 にて Veronika Dobers さんの個展を見る。
オープニングへ友人らと行く。ここが名古屋のブレーメンコミュニティかな?と微笑みかけてもらう。
同じ単語の文字の列が、絵を通すことで 違う言葉に見えた。

西春まで戻ってきて、もう少し飲みたいねとなって、中山氏らの毎月企画クラブイベント「ミチクサナイト」へ。チカチカのミニライヴ。ぴょんぴょん跳ねたり、座って飲んだり。
今月の頭に金沢で遊びに行った「social」と集まってきている年齢層は近いと思ったが、あそこみたいに部活は無くて、もっとホームパーティの寄り合いに近い。ゾンビ部は血のりメイクとか楽しかった。ミチクサは硬派と軟派が入り乱れている。二時過ぎになって雨は小降りに、眠さは限界に。Marqurey のDJ を見れなかったのが残念。
僕ら一行の誰それは明日も仕事とか、明後日の月曜も休みだとか。

http://www.debut-art.com/past_exhibition_2009.html

http://homepage3.nifty.com/plusgallery/
http://www.urban-research.com/UR/archives/267
http://www.dobers-art.de/
http://www.morakariin.com/artist/tikatika/index.htm
http://www.viva-kanazawa.org/puddle/

金曜日, 5月 15, 2009

グラン・トリノ

中山氏らと「グラン・トリノ」(監督、主演, クリント・イーストウッド/ビー・ヴァン、アーニー・ハー/2008)をレイトショーで鑑賞。
エンドクレジットで泣くのをぬぐって歌を聴いた。主題歌も「グラン・トリノ」で、イーストウッドが歌っている。

ありとあらゆる異なるものが次から次へと出会っていくこの世界。イーストウッド演じる主人公の年老いた白人は人種差別者だが、隣人の中国人のモン族の少年 家族らに少しずつ理解をしめしていく。しかし、老人には戦争でアジア人らを殺したという狂気の経験があり、モン族の少年の従兄は地元のギャングとして暴れる狂気のただ中にいる。「グラントリノ」とはイーストウッドが所有する 72年製のフォード車の名前。イーストウッドは自動車工であった。言わば「古き良きアメリカ」、彼の誇りだ。この完璧な象徴に誰もが羨み、異なるものたちを引きつけて出会わせていく。そして彼らは彼ら自身の狂気を前にする。

クリント・イーストウッドの自画像。銃、言葉、体、記憶、全てで世界に向かっていた。

http://www.thegrantorino.com/

木曜日, 5月 14, 2009

机上スタジオ 再編

金沢からの日々を通して、風通しの良いアトリエでなければいけないとまた更に強く思いはじめ、机の向こうには窓がなくてはいけないと、机上スタジオの配置を変更した。アトリエ同居人の同僚鈴木氏にお願いをして、彼と画材や機材、そして机を移動する。
面積としては等分ではないが、絵を描くのにじゅうぶんな引きの距離と、構想をめぐらすのに必要な解放感ができた。
あらゆる場所へ行き来しながら、時折この机に向かうのだ。

水曜日, 5月 13, 2009

町のはずれの長屋より

横尾忠則似の後輩が彼女と長い旅に出ると聞く。
その送別会にたくさんの友人らが集まっていた。
深沢七郎と並んで写っている長髪の横尾忠則の写真と彼はそっくりの風貌だ。その写真をプリントアウトして持っていこうと思っていたが、どこかにやってしまっていた。あまりにも似ている似ている言うのもどうかと思い、探し回ることはしなかった。
彼は律儀に かしたままになっていたCD を返してくれた。遠藤賢司「満足できるかな」(1971)だった。
終電の時間になって帰る我々を、彼と彼女は笑って見送ってくれた。
もう彼は長い髪ではないのに、まだ長い髪のままに思え、町のはずれにある長屋で油絵を描いているような気がする。
自分で思い浮かべておいてなんだけど、町のはずれの「はずれ」ってどこなのか。

火曜日, 5月 12, 2009

記憶の風景 by,AA

先生は子どもの頃に住んでいた家の風景をパソコンで描画して僕らに見せてくれた。
僕にも幼い頃に引っ越した記憶はあるが、前の部屋に帰りたいとは思っていなかった。
先生は帰りたいとずっと思っていたらしい。
それはどうしようもないから 僕らを悲しくさせた。
先生のパソコン描画はワープロの文字を並べて描いたもので、アスキーアートと呼べるものになっていた。家の庭に生えていた木の葉を現すための「"」を一字ずつタイプしている姿が想像でき、胸を打った。
先生と同じく松本竣介を僕も好きだ。松本竣介が文筆を行っていたことは戦時中に虐げられた画家の抵抗活動としてのみに留めて語られるべきではないと思った。ここには一人の人間から起こってくる絵と言葉の関係があるはずだ。アスキーアートで描く記憶の風景とそれが絡んで印象にある。

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月曜日, 5月 11, 2009

丘の上にいる限りは

名古屋市池下、ライヴハウス 源にて 生田敬太郎のライヴへ。
実感に溢れる言葉を、刻みつける。
実感に直さなければ何も言えないということを思う。
いなくなるという実感を言うことはできないから、いるうちに言っておこうとするのだと思う。
打ち上げに参加させてもらって、
終電を逃しても話していたくって、
夜道を赤ら顔で歩いて帰った。

http://www.myspace.com/ikutakeitaro
http://live-gen.musical.to/

日曜日, 5月 10, 2009

窓や腕がなびいていた

夜を持て、背中に目を向けよ。
テーブルにジャンバラヤのような皿を頼み、爪で引っ掻く癖を見せつけたところで、
何も変わらないかもしれない。
何か変わるかもしれない。
あなたがいないことを、そこにいた私が読んでいた。
風が吹いていて、窓や腕がなびいていた。


土曜日, 5月 09, 2009

詩人と行者と二人の写真家と恋人たち

行者は欲望と戦う。
己を在らんがために。
繰り出す思いは絶えず続く。
君はずっと見てくれていた。思いが、許されながら試される。
恋人たちは手をつなぎながら、詩の前にいた。
見てくれていたものを見るのは少し先、僕はいまを追いながら見ている。


金曜日, 5月 08, 2009

藤子・F・不二雄大全集

「藤子・F・不二雄大全集」なるものが刊行される!と 某ブログを RSS 登録していたリーダーでキャッチ!直ちにチェックすると、涙をちょちょ切らせながら手をバチバチ!と叩きたくなるくらい、「おお 心の友よ!」と抱きつきたくなるくらい、素晴らしい刊行予定っぷりであった。マニアヨダレものの 学年別ドラえもん全収録や、ジャングル黒べえなど現行で手に入らない漫画も全て刊行していくらしい。この英断に小学館と藤子プロを踏み切らせた要因には、復刊ドットコムが行ってきたファン投票が影響を与えているのだろうなと思う。まだ ISDN回線時代に教えられてクリック投票した覚えがある。先の藤子Aランド刊行もそこからだった。マニアの息づかいが直に吹きかかっているようである。
某を外して、熱い息を冷静に正視するブログ「藤子不二雄ファンはここにいる/koikesan の日記」を一読されたし。クラスの一番後ろにいて、大切なことを書き溜めている!

http://www.shogakukan.co.jp/fzenshu/
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20090507

木曜日, 5月 07, 2009

私とあなたによる

男性二名の作家による展覧会を見た。部屋を二等分しそれぞれに向き合うかたちで展示をしている。写真、立体物と互いの個性は異なる。その場所がちょうど当たるところに展覧会タイトルとコンセプトを置いていた。

ブルーマヨネーズの最初の詩集を思い出す。ワープロ機で印字し、コピー屋で刷って束ねたその表紙は僕と小松氏の顔が縦に等分した紙の上に、上下逆さまに並んでいる。僕だけがひっくり返っているというようにも見える。「愛についての 100 の物語」展の出品作家、関連アーカイブ展示のところにブルーマヨネーズ詩集を並べて頂くことになり、そのときに表紙を見ていた。

いまの表紙は何だろう。白紙で決められる柄じゃない。

http://blue-mayonnaise.sakura.ne.jp/bm/1st.html

水曜日, 5月 06, 2009

4'33"

持ち帰った宝物と、持って行く捧げ物をごっちゃにしていた。金沢から江戸まで氷を担いで運んだという飛脚のテレビは面白かった。とにかく静かに御飯をとる。ジョンケージの 4'33" のCDなるものを買っていた。この町一番良いジャズを聴かせるというバーの向かいにあるレコード屋で Bang & Olufsen で 4'33" を試聴させてもらえた。ライヴ盤らしい。ピアノの蓋を開ける音が入っていると友人は言ったが、僕には聴こえない。それは、プレイボタンを押すいまの音なのではなかったか。
とにかく静かに御飯をとることにする。
長い映画はまだまだ続くのだ。
オールナイトのレイトショーに途中休憩の食事タイムを設ける。休憩に用いる喫茶室にもフィルムを回す仕掛けを作っておきたい。むしゃむしゃモグモグが響く。

火曜日, 5月 05, 2009

だんだん聞こえなくなる

犬を連れて行く
海は誰もいなくても海だ
ダッシュボードを指先でつまみ
砂を詰めておいた
蟹とフリルがこぼれ落ちる
祖父は犬を置いていったって
砂は硬くなる
指先の濡れをぬぐう
あなたは真剣にこちらを見ていた
鼻の頭から反射する
誰かと犬
海の姿
温かい牛乳に生姜を入れてもらう
アクセルを強く踏んでもらう

月曜日, 5月 04, 2009

この語り尽くせぬもの

届く姿。
見られる姿。

夜はビルの一階にあるレストランで夕食を友人らととった。
料理が運ばれてくる度に、向かいのおじさんがグラスを振るしぐさを見せてきた。
一度ホテルに帰ってから、友人らと別れ、それからの写真家と飲みに繰り出す。

山折哲雄氏、講演「愛、この語り尽くせぬもの」を聞く。
私たちが掴もうとするものや、私たちが指先から離していったもの。

日曜日, 5月 03, 2009

聞こえる声、聞こえない声

会うなりすぐに昨日の姿を確かめる。
私は何を思っているのか、何を差し出す姿勢であったのか。
私はプールサイドで詩を読んでいた。
"嘘を付く" から続け。
紙を見ていた。
人が周りを行き交っていた。
谷川俊太郎 + 山本基 詩の朗読とアーティストトーク を見る。
それからまた私は徘徊を続ける。

土曜日, 5月 02, 2009

金曜日, 5月 01, 2009

エゴとコミューン

エゴと背中合わせだと数える。
無言を送ることは、できないと調子にのって返していたが、おそらくできる。
いや、できてしまう。
とても怖いことだけれど、何も見ようとしなければそのままいなくなるだけ。
一遍の詩を引き起こすことをしたい。

深夜に回線を借りてスカイプ。疲れるのでミクシィを辞める。
閉じこもれるお店は好きだけど、会員制のお店は面倒だ。
一見様お断りに憧れるけど、コミューンはいつか疲弊する。
去ってから、後で keis 氏に声をかけてもらっていた企画「二次る!」の副管理人になっていたことを思い出す。しまった。でももう戻りたくないと意地をはる。いや、素直になってももう戻りたくはない。「二次る!」自体を外に出せればと思い浮かべる。