延々と十年前のビデオを取り込んでいた。
議論が起こり、反論は声ではなく動き回るなかで現れ、混沌が平等に起こるようにと見回していたのがよく分かった。
カメラレンズの横で抱擁をしていて、映ってはいないが顔が近くにくる。
甘えた声に甘えでは返されず。ワイドショーの続きを追いながら髪を結っていた。段ボールを貼りめぐらせた部屋では数枚しか描かなかったように思う。自意識を高めるだけのためにその部屋はあって、詩を書く机上も、もはやどこにでもなれそうであった。
ビデオはひととおり目を通されて並んだ。
編集はいまの有り様と希望の写し鏡だ。十年前を面白がるのは、十年前もそうだと頷くから。
混沌は何で引き起こされて、どう染み込んでいくか。
放置プレイではなく、解放と呼ばれるのには何がどう作用しているか。