木曜日, 10月 25, 2007

一日の終わりに

原付の君よ
コーヒーの君よ
水を手放さぬ君よ
カフェオレの君よ
ベレー帽の君よ
詩を読む君よ
ジーパンの君よ
僕はトランクス一枚で眠って、鼻水をたらすよ
中村中の歌はいいよ
愛しいという言葉を使わずに愛しいことを伝えてくれる
僕には語りたいことと、
語るべきことがきっと同じだという疑念が信心のように擬態化して、
ここまでこうなって来ている
そんな丸腰なのだから
走って行く君に顔をよせれば
どうしてかすぐに眠ることができた
ガスパン遊びなんてするんじゃないよ
子供たち
くそガキたちよ
僕もおじさんらに言わせればくそガキだから
ピストルの試し撃ちなんてバラエティーでやるなよ
僕は朝を待つ
乗り過ごすことを理由に
詩人ですと名乗りをあげる
君よ
ここからまだ長いと知っていても
楽しいも哀しいもないか
わからない
わからない
知らないわけではなく
わからないほうが
問題なんだよ
知らないことは何でもないことだ
なくものは、なく
それは許されるとかそうじゃないかとかじゃない
言葉で超えるべきものは、言葉そのものなんだ
君よ
猫のことを思っておくれ
眠りのなかを思っておくれ
僕らが見ているものを思っておくれ

一日のはじまりは、子供のようで
一日の終わりには、老人のようで*
(*Three Blind Moose「一日の終わりに」)。