名古屋シネマスコーレにて「キャタピラー」(監督, 若松孝二/寺島しのぶ、大西信満/2010)を見た。午前の回に行ったら満員であったので後日にしようと帰路に一度はついたが、終戦記念日の今日に見ておきたいと思って引き返した。映画館で見るというのは時も場所も 環境を全て背負い込んで見ている。
次の回も満席で、立ち見での鑑賞。長時間の映画ではないが苦しかった。延々とすっきりしない不自由に浸される物語であったからだ。戦争は人を病的に貶める。事態から脱するのではなく、考え方を変えてラクになろうと口ずさまれる軍歌が、鼓舞と高揚のみで救われない。頭での理解に伴わない身体の反発。泣きながら軍歌を歌うとき、リズムの骨格はこびりついていた。どこにもすがる生き方は無いから、ついには 食べて、寝て、食べて寝ての これで生きていけばいいじゃないと言ってしまう妻の強さよ。それは平和でないのかいと思いもした。
軍神は戦争の高揚が終わったとき、バランスを失う。ちょうど欲望にかまけて暴れた男が我を取り戻し、戻ることを恐れるように。
脚本や伏線をどうこう言うのではなく、芋虫の軍神と妻という図を現代にぶつけたこと。行為として映画があった。
偶然にも若松孝二監督と大西信満の舞台挨拶の回だった。
映画を武器として!言えないことを言う。前作の連合赤軍で抱えた、赤軍兵士たちの上の世代たちがうやむやにしてきたことを追うという繋がりはクリアだった。そしてそのうやむやは現代にも立ちこめてきているはず。
シネマスコーレのホームページの インタビューで語られている「撮ってみたい映画の話」に、現代への直接的なアプローチがあるように思えた。
風景か。えらく穏やかな画が続きそうだ。「17歳の風景/少年は何を見たのか」がそうか。
http://www.wakamatsukoji.org/
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/skhole%20kill.htm