火曜日, 9月 11, 2007

テロルが焼き付かせたもの

テロルが焼き付かせたもの。瞬間の絵を黙すとき、少しらくになったあなたの心は、何のせい。すべて私のせいではなく、私のせいだ。テロルは私の前を通って 行った。世界は一生を懸けても回りきれず、憎しみと一生向きあうのはいやだ。それをらくにさせるのは、かぶせ合いではない。自由の塔など何も自由ではな い。がんじがらめのままで、新しい戦争と呼びながら、世界を一生懸けなくても回れる程度にしていっている。
ずるずると時間だけが過ぎていくようだ。
若者は いい加減にしろよと思って、車を爆発させるのではない。とてもとても悲しいのだ。
テロルが焼き付かせたもの。三つの数字の意味が変わり、グラウンドゼロという言葉も利用され、目に見えぬテロルがうようよと蔓延っている。第一次、第二次 大戦時など、どんな有様だったのか考える。いまみたいなリアリティで回っていたのではないかとも思う。しかし気が遠くなる。私たちは、いずれまたこの日の ことを歴史の教科書に書くことになる。テロルが焼き付かせたものは、何故このように悲しさが溢れていたのかを書くことになる。それが伝わってくれるだろう か。