月曜日, 9月 24, 2007

白ける夢を見ている場合ではなかった

また尾崎豊を見ていた。土鍋でつくった豚汁を食べて、数本の映画をDVD で見て、明日からまたどうしようと呟いていたときだった。「愛は白けるものだ」と書いてしまえば、達観した気分で、それは上に立ったように何かを放棄して いる気がしていた。これは計り知れないことであるが、おそらく、やはりそうではない。白けるものを、白けないように働く動きそのものが愛であると、思っ た。本当はシンプルなものなのに、容易に言葉にすることができない。借り物の言葉にすると、すぐに白けてしまい、愛でなくなる。大切にしようとする気持ち や働きは、いまもここにあって、あなたを生かしている。尾崎豊が何故若くに亡くなってしまったか、知る由もない。彼が唄ったもので、生きていられた人、彼 を支えた人、これから彼の歌を聴く人。大切に向き合う関係は様々だ。これらの尊いものの前で、白ける夢を見ている場合ではなかった。
ここ数日で見た夢は、残酷で、取り返しのつかないことをする夢ばかりだ。

勢い勇んでシャワー室に入ると、髪の毛の固まりがボタボタと落ちてくる夢。
同級生の女の子達のグループ展の搬入作業に偶然居合わせて、何故か大切な古典書を預かるのだが、それを公園のベンチに置き忘れてしまう夢。後からそのうち の一人の子から携帯に確認の電話がかかってきて、それに気付く。僕は大丈夫だよと言いながら、来た道を戻り、ベンチで置いてけぼりにされたその古典書を見 つける。古びた表紙には毛筆で「原始の女」と書いてあった。各国のあらゆる女性と関係を持った男が、絵と文章で何やらを回想した辞典である。インデックス 部分が剥がれて無くなっていた。ベンチの周りには草野球のユニフォームを着た学生が集まっていて、僕は彼らをかき分け、それを手に取ったのだ。グループ展 はうまくいったのだろうか。確か彼女たちが展示を行う部屋の向かいは、知り合いの作家さんがビデオインスタレーションをしていて、僕が見に行ったときに画 面が暗い気がすると言ったら、全部の電源を落として再起動しはじめた。するとさっきより明度が上がって、ちょうどいいくらいに床が照らされた。作家さんは そうだねと言いながら、脊髄のあたりを ぽりぽり掻いていた。