木曜日, 9月 13, 2007

でもそれは「逃げちゃだめだ」であって、「僕はここにいていいんだ」では無かった

マンモス大学の中庭で、詩についてのオープンディスカス。そののちに自己披露と実現の違いを考え、終電で帰ってきた。意識はうごめき続ける。昨晩はミチク サに 2Lのお茶を買って行った。同時にエヴァのレボルティックも。ザッピング夜話は尽きぬことなく、そのまま朝まで起動しっぱなしで仕事へ。眠気覚まし資金投 入し対応し乗り切る。

悲しいことはネタじゃない。
やむにやまれないと僕は聞いた。
「こんなことになってしまったけれど、これで詩が書けるからいいじゃない。」
後日、実際に僕も含めて、そのことを書いていた。
でもそれは「逃げちゃだめだ」であって、「僕はここにいていいんだ」では無かった。

ビール瓶や皿をさげてもらう。
我々は、手を叩きながら、我々の拍手の音を聞く。
白い本に言葉が書いてある。
「私は詩で人を幸せにしたい」。

本当は悲しいことなんて忘れてしまいたい。
でも忘れてしまったら、もっと悲しいじゃないかと思う。
本当は自分がいちばんいいところにいたいだけで、セカイ系の極みに酔っているだけだ。
本当は世界の果てしなさの前で、名もない一匹のヒトに過ぎぬ。
それがビールなんぞを飲み、ああだこうだと憂いているのだ。
このうごめきだけが、人である悲喜劇だ。
正しいことのような「逃げちゃだめだ」は一方的な言葉で、
そのままでは辛過ぎる。
「僕はここにいていいんだ」は、とても通って聞こえる。