昨晩、映画を見て帰ってから、少し前に NHK でやっていた尾崎豊のライブ映像の録画を見た。何気なく、かっこいいなぁ程度に見るつもりが、その正面から唄われる歌に驚き、引き込まれてしまった。
無軌道で破天荒に思われている尾崎像だが、彼が見ていたものはどこまでも現実的だったのだ。
「I LOVE YOU」(詞,曲, 尾崎豊/1983)
I LOVE YOU いまだけは 悲しい歌
聴きたくないよ
逃れ逃れたどり着いた、この部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで、捨て猫みたい
この部屋は落ち葉に埋もれた
空き箱みたい
だからお前は子猫のような鳴き声で
きしむベッドの上に、優しさを持ち寄り
きつく身体、抱きしめあえば
それからまたふたりは、目を閉じるよ
悲しい歌に、愛が白けてしまわぬように
・・・・・この歌の恐るべきところ、それは、彼は既に十八にして、「愛は白けてしまうものだ」ということを見抜いていたことである。ほとんどのラブソング は「私たちふたりの愛は永遠」と唄うものだ。そう唄うことで、力を生もうとする理想的な視点である。彼は違う。彼はそんな幻想を唄っても、本当の力にはな らないことを知っている。ふたりは徹底的に無力で、悲しい歌ひとつで愛も白けてしまうという現実を、さらけ出し、そうならぬようにと願いを唄うのである。 願いに転ぶのも、白けに転ぶのも歌ひとつという置き方も素晴らしい。彼の歌手としての覚悟をここに見る。
この歌で唄われている ふたりは、何も不良カップルだけのことではない。全ての ふたりは、現実を直視すればこそ、無力と限界の前に抱き合っている。
と、書いていて、この文章に白ける気持ちを持つ。
「殯の森」を見て、感覚が解放され、意識が立っているようだ。
「殯の森」は愛に溢れた映画だった。
愛についてを語ることができるか。
無下に悲しいことを綴ってはいけない。現実故の言葉を見つけられるか。
http://www.youtube.com/watch?v=8PBupJw1VQA&mode=related&se