金曜日, 11月 24, 2006

道徳を語る資格は行う責任と共に起こる

先日、朝日新聞に連載されている「いじめらている君へ」という欄に対し、「いじめている君へ」も要ると書いたが、本日 第一面を見たら、それが載っていた。交互に変えているのかもしれない。事実確認もせず批判的に書いたことを反省する。「いじめている君へ」はタレントのソ ニンが書いていた。
では次は「いじめを見て見ぬふりしている君へ」だ。

テレビのゴールデンアワーで「太田光の私が総理大臣になったら・・秘書田中。」(日本テレビ/2006)がまた いじめ自殺問題を取り上げていた。朝生でも議題になっていたらしい。
文部省に送りつけた自殺予告など、僕自身がテレビを見ていなかった時期のせいもあって、僕は乗り遅れていたが、世相は深刻さをようやく自覚してきたという 感じなのかもしれない。飲酒運転をこれでもかと取り上げまくったことで、郊外の飲み屋が売り上げを落とし、ボジョレー・ヌーボーの試飲をスーパーがやらな くなったように、非常に分かりやすいかたちで表面に提示されるのが世相の姿だ。企業はその変化に敏感に対応している。マクドナルドはロハスぶるのをこなし ていく。いじめ自殺もそんな提示がポンと来そうな気がする。

死なないようにだけ守られる?
いや、よく生きるように
楽しくできれば自殺なんてしない。
頭を撫でる音、あなたを抱きしめる音。
目を閉じて、思い出が上書きされるように。