二週間ぶりの金沢、そして徘徊の再開。いやずっと続いていたのだ。お前は松尾芭蕉らになりたいのかと言われ、そうかもしれないとニヒルに答えられるほど僕は斜にかまえたくない。馬鹿正直にでも俳諧と徘徊は呼びあっていると言うだけだ。
閉館間際に詩を手にとってくれた男性と女性が話しかけてくれた。松尾芭蕉も句を通して他者と話していたはず。
ゾーン2の消滅は全てがかき消えたわけではない。僕はあらゆる動きを思い出す。頭では分かっていても切なかった。新しい学校へ行くなら、もっと話したい。恋愛のように尊び、語り草になれればいい。
くさくないんだ。チェルフィッチュが塩田千春さんの部屋で行っていた長いパフォーマンスの断片を見る。あらゆる出会いは断片かもしれないとニヒルを振舞ってみる。あらゆる思いが解放されていく。焦らずに一言ずつ話していこうと思う。