土曜日, 12月 02, 2006

全ての景色を言う

宇宙にはあと一歩だった。
そんな僅かな、でも本命の望みを追うようにして、バスは走った。

「大竹伸朗 全景 1955-2006」展を見に、朝七時、東京都現代美術館のある清澄河の町に立つ。
少し歩くと、「宇和島駅」という看板が屋上に付いているのを発見する。はじめての町だから、本当にあるのかと疑うが、明らかにおかしい。既にこれははじまっているのだなと思った。
そんな早くには開いていないし、待ち合わせ時間まで三時間もあったから、迷わずファミレスに入ってモーニングを食べた。お代わり自由のコーヒーと杏ソーダ を飲みながら、「海馬 脳は疲れない」(著,糸井重里、池谷裕二/ほぼ日ブックス/2002)を読み終えた。前向きになれる対談が、丁寧に、それでいて堅 苦しくならない言葉で収められていた。
教育にも、サブカルチャーにも、容易に自己定義しようとしていないところが「ほぼ日」の糸井重里らしい。やろうとしていることはただの対談であって、変に 気負うところは無いというか、大義名分や意味を掲げるのは置いておこうという姿勢が、この本の中で後半に出てくる「あとで修正するかもしれないけど、いま 自分が考えていることはこういうことです」という言葉に出ている。これは更新を共有していこうとする、気負わない姿勢だ。
読み終えて、根拠の無い自信を持ってがんばろうと思えた。
脳は「べき乗」でうなぎ上りするのだから。

十一時、美術館に入ると今日の昼から大竹伸朗と湯浅学の対談イベントがあると知る。「幻の名盤解放同盟」「時代の体温」の!あの方かっ!と興奮する。その イベントが三時から六時まであるという長丁場ものなので、終わってから展覧会を見ることができない展開だ。急ぎ足で見ねば!
と、思っても、この展覧会は多く話されているとおり、大規模な回顧展であり、総作品数二千余というフルボリュウムで迫ってくる展覧会だったのだ!しかも大 竹伸朗の作品は、濃厚多層イメージのハイアンドロウだから、すごいすごいすごい。興奮止まぬまま、後半泣く泣くペースを上げ、三時には企画展示の全てを見 たが、常設作品展と、大竹伸朗の選書展という別企画は見れなかった。

エレキギターぐわんぐわん振り子状に鳴り響く「零景」のあるエントランスの宇和島駅より、地下に下ると、講堂からクリスマスソングが流れていた。壇上にレコードセットとスピーカーが組まれている。
やがて湯浅学と大竹伸朗の両氏があらわれて、対談のタイトルは「歌謡曲相撲」というハイパー脱力企画がはじまった!
これでもかというくらい、当時ガキの今おじさん世代は感涙ものの歌謡曲レコードを流しまくり。
間にぶっちゃけ本音トークを話すという、何の気負いも無いリッチな時間であった。母親に勝手に捨てられないように作品が大きくなっていったんでしょうと湯 浅学が突っ込んだり、こうやって描けばこれが出来るなと思ってしまうと冷めてしまうから、一歩踏み込むんだと画家の情熱を大竹伸朗が返したり。最後は何の 対談なのかわからなくなってきて、谷岡ヤスジは凄い!と強く言っていた。

そこからダッシュして、、小山登美夫ギャラリーで蜷川美花の個展、シュウゴアーツで森村泰昌の新作を見た。同じタイミングで同世代くらいのカップルがエレ ベーターに駆け込んできた。男子は「靴を踏むなよ、殺すぞう!」と女子に言い、女子は「私の靴は踏んでもいいよ!」と返していた。

地下鉄を降りて渋谷に出ると、街はやはり狂っていたが、そこでは東京の幻影を見ている者だけが騒いでいるように思えた。
十一時半、携帯電話の電池が切れた。
僕らには来年の手帳を、両方が持つという望みがあると思う。
あと一歩の宇宙も、ここから望もう。

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