月曜日, 12月 25, 2006

それははじまる言葉

搬出搬入は続く。頭上を囲む線は、空間を規制してしまっていた。
愚痴を言ってもはじまらない。
白い部屋の営みのために。
それははじまる言葉となるか。
とんとん拍子で帰って、真坂氏を囲んでの会へと流れた。
その前に病院と美容院を周る予定が、病院だけで疲れてしまって、今日は継続の意志で終える。
西山氏のアトリエで、壁一面に貼られた絵のなかで、一枚の写真がこちらを見つめてきていた。
そのかけがえのなさを。五月蝿いのは二十代後半のオヤジなり。

騒ぎは続く。「ジョゼと虎と魚たち」(監督,犬童一心/妻夫木聡、池脇千鶴/2003)を野郎だけで見る。見入る。フツーの学生の妻夫木氏には参った。く るりはかけがえのなさを慈しむ音楽。夜はとんとん拍子で帰れない。外は冷え込み、急に十二月らしくなってしまって、クリスマスソングは立ち寄ったコンビニ が最後だった。ここの裏にある長屋を曲がったところに、おそらくジョゼはいる。
映画を終えて、佐内正史の写真がスライドショーになる DVDのメニュー画面にずっとしておいて、僕らはビールを飲んでいた。
今年ドイツに行き、持ち帰ったのはアートワークだけではなく、捨てていくものはアートワークだけではない。アートという言葉だけにすれば、そこにワークも入る。それ以上の言葉も。
象徴として輝く映画よ。詩は全てをやさしく言い当てる。そして言葉自身が言葉を待っている。

きれいな夢よ、さよならって、そんなにきれいになれるか。自分の弱さが露になって。情けなく参って、力を持って。
もう二度と会うことはないんだと彼は言っていた。
傷つけたくないと言う彼を知っていた。
妻夫木氏自身もそんなふうのコメンタリーを聞き、笑ったり、黙ったり。黙るコメンタリーというのが良かった。審美眼も剥き出しに見る。思えば、俺達はコレクターのような目で見ていたのだ。
西山氏が言った。
「今日の映画鑑賞会を終わります。」

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