日曜日, 12月 17, 2006

re: re: 岐阜の犬

宅配便を待っていた午前中。確認の為に電話をすると、おばちゃんは丁寧に返してくれた。電車や車で北へ向かう日曜。日曜なのにごめんねではじまる bnap06 メールを周囲に送り、目当ての荷物も十一時半に届く。このサインはいつかの自然な息づかいを残してくれていた。
少し北へと上がるのを意識する、我々は岐阜へ。母親からの犬の話も届く。私は二十七の自称詩人の作家活動中。立ち上がる氷川きよしを撮影できなかったカメ ラマンに捧ぐ、私の学習心。たわいもない独白。作家は旗を振る存在、社会のなかで求められる存在でなければいけないから、FC岐阜は勝利した。我々は勝利 の牛丼を食べていた。つまらない意地を私ははっていた。なんとか答えを見出したかった。君はとっくに見抜いていた。どんどん北へ行ってしまうような気がし た。
「HIBINO DNA AND...」の企画、来る 22日に長良川で行われる「こよみのよぶね」で使われる ぼんぼりをみんなでつくる。犬もつくられていた。私はこっそり、犬のフレームがつくられるのを見ていた。
鼻の穴が黒くなっていた。たくさんのいろんなものを吸い込んでいた。

「無念」と「残念」という言葉について書く。
先日の日記で、「無念」という言葉を使っていたが、あれは間違いのような気がしていた。心情をあらわすには間違いだった。「無念」は、武士が切腹するとき に言う言葉。「念がもう無い」と宣言しているのではないか。本当は念があったとしても、言うことで無しにする働きがある。
「残念」は「念が残っている」という後悔の言葉で、まだ終わっていないと思っている意識だ。
だから「無念」と「残念」を混同してはいけないと思った。
ここまでは私の考えだ。
辞書を開くと、どちらにも「悔しく思うこと、さま」と同じ言葉で記述されているし、「残念無念」という言葉もあった。
「残念」は形容動詞のみであり、第一義は後悔。
「無念」は形容動詞と名詞の場合があり、後悔の意味は二番目にあること。名詞としては仏教用語で「種々の雑念を生む心を消滅させた状態」とある。
「残念無念」は昔の新造語なのかもしれないと思った。そもそも、人が「無念」になれる瞬間など理想めいた話だよという達観もそこには見える。
「念がもう無いようにしたいけど、まだ念が残っています」みたいなね。

岐阜の犬は明日からも元気にいくだろう。
誰にも新しい一週間がはじまる。





http://www.dnaand.org/

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