月曜日, 12月 18, 2006

公園のてっぺん

送ってくれた言葉を求めて、私の月曜日はまた公園より語られる。
てっぺんに上ったら、何が見えるだろうか。そう想像してみる。いま私に最も必要なものはその力。それこそがいまここから前に進ませる力なんだ。どこに行っても、そこを向かなければ、何も変わらない。
場所や本、人、何か新しいものが大きなきっかけとなって、そこに向かわせてくれることが多い。

「麦ふみクーツェ」(著,いしいしんじ/新潮社/2002)を文庫版で、借りたのを読んでる。行き帰りの電車のなかで、とたん、とたんとはどんな音だろうか。のどかな言葉遣いが楽しい。
帰宅すると、それからはスパゲッティを茹でるときに玉葱や塩に黒胡椒をどう入れるかと、いつのタイミングでクリームソースを温めはじめるかを取り組んでみる。
たわいもない些細な段差を上っていく。
私には向上心とそれを成し遂げたときの喜びが人一倍大きいのではないか。
自己満足や、一人遊びが上手とでも批判されることか。

危ないからと言って、日本中の公園から滑り台を撤去しようとする大人たちというドラマを思い浮かべてしまった。下世話でありがちな感じだが、既に教育基本法に愛国心は植え付けられて装填されている。
あれとこれとは関係無いだろうと罵声が飛んでも、今日はてっぺんからこの文章展開だ。
あての無い市街地を歩きまわったときに、母校を思い出せるかどうかが、教育が力となって震いあがれるかどうかだと思う。
みんな勉強をしている。少しでもいい方向を見出せるように。
亘さんとの共同制作「記憶の星座化」(2004)で見つめたはずだったけど、「思い出す」というのはスキルなんだなと思った。
そこから引き出すのもスキルで、思い出すことと勉強は極めて近い。
自己学習が上手と批判される筋合いはないぞ。
ただ「ひとりでは誰も愛せない」(著,鈴木博文/創現社出版/1994)んだがね!

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