土曜日, 12月 09, 2006

贈り物を見届けた一日

雨は体を冷やし、僕には認めたくない変化を促した。夢から覚醒したのに、社会は地下を覗かせる姿勢で適度な会釈と共に時給相応それ以上の振る舞いを要求し ている。いや、もとい、夢は浅はかな僕の合わせ鏡なだけであったのだ。自覚するという可能性、自らが見出せばそれは酷使される関係にならぬことに気付き、 表向きは戦わずして勝利を続ける大人でいる者は、風邪をひいてしまったのではなく、風物詩として風邪をひいたのである。クラスの全員がビジネスマンやオ フィスレディになりきることは、実はできない。たとえ商業科でも、言葉は蜜の間(ま)を持っている。露悪的な電話応対に疲れたら、夜は猫になってしまえば いいのだと、お酒を飲んだようだ。もてはやされた四週間が終わり、逆に言葉足らずの日々が浮き上がった。拍手喝采、見えない花束のあとで、僕が贈ることが できるものは何であったか。中学生の時分からずっとこのような自問自答を続けている。歯を磨かず、流れる田んぼの闇に浮かぶ車のライトを電車の窓から見て いた。窓には僕の顔も映り込む。この視界自体を何かの画面に撮影することは不可能だろうなと思った。街から帰るときのことだ。風邪薬を飲んだカミーユらし い。良かった。修正され続ける、蹴落とされる時間の跳ね返りに目をつぶったのは誰だ。誰も悪くない。蜜の間(ま)を意識しているうちに、今夜は言葉を蘇ら せる言葉を唱える。
贈り物を見届けた一日。