僕はとんでもなく馬鹿な感じ。
頭では何も分からないみたい。
写真とトランプと遊戯王のカードをいっしょくたにしてシャッフルするような、それはあらゆる思いをシャッフルするシンキング(思考)のような。気持ちになる。
駐車場を子どもが一人で走り回っているのを見ていた。
夜がすぐにやって来る。
写真はどれもキレイだった。
ドイツに行く前に撮った僕らの写真もすごくキレイだった。
カードにして配られる思い。
それは書かれた言葉の姿である。
書かれた言葉を手で掴んで配り、僕らは会話をする。残酷で無様な僕の振る舞いで、ポーカーフェイスで紳士のように七並べをする。
iTunes で「The world of MOTHER」(鈴木慶一+田中宏和/1989)を聴く。
僕のしたい冒険。
ぼく、おんなのこ、おとこのこともだち1、おとこのこともだち2。
みんなを呼んで。
名前で呼んで。
歩いていく。
先生は先生という姿をみせることが仕事なんだと気付く。
愛は愛という姿をみせるための「out put」なんだ。