昨夜は夢を見なかった。
昨夜は気持ちのなかで過ごした。
目が覚めてもそれは続き、携帯電話とにらめっこをしてしまう。
「どん詰まり」だと吐いてみる。
少しラクになって、数件のメールを読む。
どれも僕ひとりでは意味のない内容ばかりだった。
写真を数枚開き、眺めてみる。
僕はようやく黙ることができて、ようやく洪水のような時間のなかで立っていることが自覚できて、声をかけることが気恥ずかしくなくなり、目くじら立てるこ ともなくなった。時間給仕事が過ぎ去るとき、一日には何も残らず、電波もメールも届かなくなっている。ATM は営業停止の文字を照らしている。一円も降ろせず、あの郊外の駅から僕は歩いて帰らなければいけなかった。しかも何故か服を一枚も着ていない。知らない町 を歩いていたのだ。見覚えのある角を曲がり続けていたのだ。僕は弱すぎた。何かに追われている。そんな辛い夢を、小さい頃からよく見る。いじめられていた わけではない。僕はスネ夫とのび太を足して二で割ったような小学生だったのだ。
だが見ているものは、しずかちゃんだけだったのだ。
笑うせぇるすまんにドーン!とされた後の、三十代。いまはそんな気分だ。
「どん詰まり」で、黙ることができない。
黙ると死んでしまう魚である。
馬鹿なことを考えすぎる。余計な描線が多いクロッキーを捨てにいかなくてはいけなかった。改心して、固く凍った花の蕾を一枚、一枚、開かなくてはいけなかった。
誰かのカーステレオ、iPod に入っている何曲かを聴きたがっていた。
それもワイヤレスでは奇麗に聴けないんだと分かったとき、それはいま、僕の行くところは使い道の無くなったケーブルの一時置き場でしかない。
箱の中には何も無いが、そこに何かがあると考える。それだけ。
ずたずたに轢き殺されたテロリストを誰が看取っているのだろう。
哀しみを怒りに変えさせているのはどこの誰か。
気が遠くなった。
矢野顕子「行かないで」を聴く。
力を変えていくものも力。
力を与えていくものも力。
どん詰まり、"Dead End"。
死ぬか帰るか、ここまで来てしまったんだよ。
俺はなんとか帰るよ。
こんなところはいやだ。