月曜日, 10月 09, 2006

タカダワタル的を見る

すき焼きの余りの野菜をビニール袋に詰めてもらってきてあって、それをお昼の焼きそばに放り込んだり、夜の豚汁でちゃんぽんにしたりした。
ドイツの巻き煙草をまた吸う。
ゾンヤと交換したシガレットケースに入れてある。僕はパンダのシャツをあげた。それは彼女からのものだったから、ケースを彼女にあげた。いま、DVD プレヤーの上でおとなしくしている。
昨日、買い取ってくれなかったゲーム類を駅前の古書店に持って行く。数百円程度にしかならなかったが、諦めて了承し、吉本ばななの本を買った。いま読んでおきたい気持ちになった。
帰ると、「諸国空想料理店」(著,高山なおみ/1995)を見せてくれて涙腺が緩む。本のなかの「うどん」のくだりのように、豚汁が煮込まれていた。

大根もたっぷり入った豚汁をほくほくしながら、DVD で映画「タカダワタル的」(監督,タナダユキ/高田渡、柄本明/2004)を見る。
65分ほどの、小さいこの時間にぐっとくる。
テレビも 14インチと小さいのだが、まるで高田渡のライブに二人で来ているような錯覚を受けた。ご飯も頼めるライブハウスで、豚汁をつつきながら向こうのステージ 上で演奏をはじめた高田渡を見る感じ。それくらい、空気感を閉じ込めた丁寧で小言を言わぬ映画だった。これを見た人は、違う歌も聴きたいなと思うだろう。 そしてゆっくり口ずさむことができる映画だ。それは高田渡の歌そのもの。これから冗談みたいに亡くなったのかと思うと、何が映画で何がそうでないのか分か らなくなってくる。歌もそんな立ち位置で、何も変わらない。メッセージや主張ではなく、空気そのものに徹した映像の切り口がそうさせるのだろうと思った。 このタナダユキさんという監督は、高田渡を解釈したり論じようとしているのではなく、ただ見ていることに勤めているのではないかと思う。風景を記録してい くのではなく、ライブを見に来ているただの一人の観客の目線となって。
筑紫哲也と高田渡の対談映像を You Tube で見つけた。これには、ツクシ的に解釈をけしかける言葉が迫っていって、それをひょいとかわす高田渡が映っていた。

見ている最中に、田中さんが手がけている bnap06 のドキュメント映画ってのはどんなものになるんだろうかと思った。僕自身が随分と説教臭いことをカメラに向かって吠えていた記憶があって、恥ずかしい気もするが、すごく楽しみになった。
ドキュメントだからと色眼鏡で迫った自分に気持ち悪くなるかもしれない。
とかく、自己解釈が強すぎるのだ。
そうやって愛してと迫ってばかりいることを思う。これは反省や追求ではなどの意味を持つ言葉ではなく。

それからアルバイトで、寝る前に作品のことなどを頭ひねって。
猫の寝言を繰り返して。

http://www.altamira.jp/takadawataru/

http://www.youtube.com/watch?v=Us6queMsQ3Q&mode=related&se