秋晴れの涼しい風が吹く。
音楽は真心ブラザーズ。図書館で「青い影・ベスト」(プロコルハルム/1968-70)を借りる。
洗濯機をようやく回した。
嘘のなかに本当のことがあって、本当のことのなかで嘘はどうでもよくなっていた。
ドイツから荷物を送るのに、中田さんから頂いた段ボールにスーパーファミコンのカセットを放り込み、リサイクルショップで一気に売っ払った。憑き物を落とすように部屋を掃除する。
僕は、車の助手席で優しくなるのが好きだ。
「フィネガンズ・ウェイク1・2」(著,ジェイムス・ジョイス/訳,柳瀬尚紀/河出書房新社/1991)と「ラブホテルで楽写」(著,荒木経惟/白夜書房 /1981)を購入。それぞれ百円という破格値。「フィネガンズ・ウェイク」は脅威。言葉の城。森の奥深くにそびえ立つ極地の閻魔だ。わけがわからない壮 絶感。ただ呆然と衝撃に耐える喜び。「同3・4」は既に本棚に仕込んであるので、これから超絶読書の秋となりそう。
「ラブホテルで楽写」のほうは、写真集ではなく、アラーキーが撮影するときの言葉のやりとりをライブとして記した異色本。写真はホテルの入り口しか載って いない。言葉のみを通してアラーキーに迫るという、この本の決断の鋭さに興奮する。さあどこまで人生を謳歌し、恋に溢れているのだろうか。ヨダレのような 冷や汗と共にこれも読む。
ああ勉強家。
言葉が降りてきて、気付くまでに時間要するのかな。
すき焼きと野球中継、巨人は永遠に巨人。お父さん、お母さんも永遠にそれ。
穏やかな夜、猫が帰ってくる家。
駅まで送ってもらって、一眠りし家に戻ると、我らの猫、ウッチャンマン飛び出す。転がっているだけかなと思うと、勢い良く走り出して夜の路地に消えてし まった。おいおい、こいつはヤバイんでねーのと、追いかけるが暗くてよく分からない。懐中電灯持ってきて照らすがおらず、小一時間ばかりこんなことははじ めてだぞうと内心焦りながら周辺を探しまわる。このアパートに四年ほど住んでいるが、いままで入ったこともない塀と塀の隙間に潜り込むと、奥が開けていて 廃墟となった中庭があった。bnap05 のときに荒川さんが展示していた薬局の裏手だ。味噌蔵みたく瓦礫が散乱している。入り込むのは保留して他の路地も探すが、車の走る道に出るようになってい るので、もしこっちへ飛び出していたらもうお手上げかもしれんなと思う。しかし、短時間でここまで出そうにないし、猫の鬱は外では恐る恐る動くからそれは ないだろうと思い、やはり廃墟スペースじゃないかと一度戻る。泣き出しそうな彼女に、帰ってくるさと手を取る。
懐中電灯を右左と振り回す彼女の、今日 写真屋から取ってきたプリントは格好良く奇麗だった。僕の部屋にはどんどん愛する人の作品がたまる。スーファミを売った分だけ、動きやすくなるかもしれない。僕の作品も愛する人に渡すから。
一度 落ちついて、また探すしかないかと思って角を曲がると、さっきの隙間から鬱がトコトコ出てくるではないか。のほほんとちゃっかり玄関の前まで歩いて行く。 「無視してやろうよ」と彼女はくやしがった。ゆっくり背後から近づき、扉を開けると鬱はさも当然のように家に入った。僕は苦い笑顔を彼女に見せた。鬱は上 機嫌で家の中をうろついていた。
やがて僕らは糞をされた毛布も奇麗に洗い流したから、今日は涼しい風のなかで静かに眠った。
あしもとで鬱が丸くなっているのを感じた。
僕は生理と満月についての詩を書こうと思った。
「中秋の名月」という言葉を教わる。二十七にして。
いつか、ようやく言葉が降りてくる。
動いた分だけ、僕らは僕らに近づいていくことができる。