水曜日, 5月 03, 2006

彫刻は詩、一日だけの帰省

車をお借りして、一日だけの帰省をした。
下りの高速道路の渋滞の中の一台。
それが我々の乗る車で、CDが回って、中で音楽が流れている。
天気は上々。
ぽかぽかであった。
四日市あたりで待たされている。
家族連れの後部座席で、中高生らしい男の子が、白いイヤホーンを耳に付けてふてくされている。
iPod の普及。個人テレビの普及。揺らぐ天皇制。戦争論、コンパ論。
「予感」(ohana/2006)を聴き、ユニット名の「ohana」はハワイの言葉で「家族」だと聞く。こんにちは、じゃない。それは「aroha」。
おそらく。
二台前の車から、突然おじさんが降りて出てきた。何かあったのかと思ったら、キョロキョロしたあと、道路の脇で立ちションをしはじめだした。
あちゃー。でも仕方ない、おじさんは我慢の限界。膀胱炎になるよりは。それにしたって、この道は丁度道路幅の狭い部分なので、脇が近くて困る。
おまけに照りつける太陽。その跡もそこだけ濡れて残るよ。すぐ渇くか。
さっきの中高生が、じいっとおじさんの背中を見ていた。
僕はおじさんから目をそむけながら、その中高生を見ていた。
君よ。少年であった僕自身よ。君がもしいま堪えきれない尿意に襲われたならば、どうするか。
何が正しくて何が間違っているのか。
上り線はガラ空きであった。そこを右翼の街宣車が何台も走って行った。
名古屋駅東口、新宿西口、大結集か。国民の祝日は彼らが躍起になる日なのか。
軍歌まき散らし、太陽は春を覚えさせてくれた。
また僕らはコーヒーや水を飲む。パンをほうばり、たこ焼きや焼きそば、夜には家族とお好み焼きを食べた。 お昼頃に、津の三重県立美術館に到着した。僕はリニューアル後に初めてだ。
企画展「エドゥアルド・チリーダ」。
20世紀の大作家の一人であろう、その仕事の、ほんのチョビッとを舐めた感じ。広く浅く、齧った程度。というのも、チリーダの作品は所謂、公共空間に生き る設置作品なので、規模も大きいし、運ぶことが可能なものではない。よって、ドローイングや版画、マケット、小作品などが並ぶこととなる。それでも、この 企画巡回は国内初のようだから凄いのだが、大きく貼り出された図版を見ると、この展覧会程度では、チリーダを鑑賞したとは言えないなぁと、思わざるを得な いくらい設置作品は凄い。
本物なんだけど、本物を味わっていない感じで歯痒い。
チリーダの空間意識は、時間のことと絡んで、やわらかい間を作り出している。白と黒の版画も鉄の立体も、四角く途切れる終端が集う辺りが、逆に空間を豊かに感じさせてくれる。
見ていて、飽きない作品だった。
こう書いていて、それは明解で凄いことだなと思う。
インタビューなどを交えたビデオには、チリーダが工場で実際に作業員らと鉄を曲げたり焼いたりしている現場が映っていた。それと、天窓のある白いアトリエ。スペインの穏やかな自然。
いつか、このチリーダ美術館に行ってみたいなと思った。
また、新設された資料室で見たカタログに、海岸に設置された彫刻の写真が載っており、これも凄く良かった。コピー機のサービスがあったら、その写真だけコピーしたかった。

新しく併設されていた柳原義達記念館も見たが、デッサンを入れたマケットの上にタイトルが印字されているのが気になって、どうも見辛かった。チリーダ展 も、常設展も、少しタイトルの文字が大きすぎる印象を持つ。特に、学芸員や研究家が付けたような便宜上のタイトルなども多いから、逆に鑑賞の幅を狭めてし まう欠点があるように思えた。この美術館には、小学校のときから来た覚えがあるし、この大きなタイトル文字で展示する三重県美術の要素に高校生の自分が浸 かっていたのなら、これは悪い意味だけではなく影響を、受けていたのかもしれないと深読みする。
帰郷は、自分の原点に帰る行為だった。それは非常に分りやすく、具体的に残されていて、それを見て考えることができるものである。

雨も降っていないのに、高速道路の脇の一部分だけが濡れている。
脳の中の刺激や運動を、三次元に現出させることが美術作品なのだと、中沢ヒデキが美術手帖の最新号に書いていた。
記号としての言葉だけではない、様々な言葉を介し、僕らは常に伝えあっている。
それらは段階的な問題ではなく、時間に左右されない現象だ。
犬や猫のことを考える。
彼らには、人間のような時計の針が刻む時間の概念が無い。
だが経験としての時間はある。
家族は、何があろうが永遠に家族だ。
そこに到達や、達成という段階概念は無い。
経験としての時間だけを、家族は持って生きている。

絵で見て、探していた花屋に行った。
それは経験した場所のように思えた。
着き次第に挨拶をして、言葉と共に花を渡す。
愛犬は妊娠をしていた。
暖炉にくべる木っ端に、弟が書いた家族の名前があった。
「体力の無い者が、体力会社と言って、何を願っとるんや」

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