火曜日, 5月 16, 2006

引用として思い出す言葉、この国に生まれて、いま

健全であろうとの誓いを表明せんがため、今日も歯医者へいざ行かん。心優しき声の前に、口を開いているだけが精一杯。でもそれだけで、治して頂ける。ああ この国は豊かで平和で良かった。この国に生まれて良かった。いろんなことを並べて思考しよう。受付で小額の治療代を払う。国民健康保険に感謝。政治が万事 うまくいっているとか思いはしないけど、この国は社会保証というものをよくぞしょいこんでくれた。今朝、ダビングしながら見た「遊星仮面」(エイケン /1969)の中で、宇宙ステーションを守り抜こうと決意した地球連合軍の長官は日本語でこう言っていた。
「目の前で母親が殺されているのを、黙って見ていられるか!」
そりゃそうだと僕は頷いた。
この国の選択肢もそうではなかったか。いや、この国とかじゃなく、人間そうでしょう。人間そうなんだ。もっとも、殺される局面まで放っておいた事実を自責 すべきかもしれない。虫歯も痛くなってから歯医者に向かうのは、勝手な健全だ。倫理的なことと、人間らしいことは、実は別なことのはず。
「革命は非人間的な行為だ」
ゴダールが女学生オルガに、車に乗り込んでから言っていたのを思い出す。「アワー・ミュージック」(監督, J.L.G/2004/仏)という映画だ。DVD がもうすぐ発売らしい。金も無いのに手を出す決意。貧しいアーティストほど、コンビニ弁当で太っていくのが、いま。従来どおりの構図とは行かぬ。 先日、市内を歩いていたときに、愛知万博の建造物が各所で再利用されていることに気付いた。環境保全、自然との共存、エコを主題とした万博だったからであろう。しかし、新鮮味の無いネタを使い回していて、どうも格好悪い。
青 空駐車場の区切り壁を、万博で使用されていたウッドデッキで置いたところで、それが本当に資源を生かしていることとは思えない。長久手からここまでの輸送 にかかるガソリンは如何ほどか。昨年の夏、愛知県内の小学生は、リサイクルアートが夏休みの宿題で出されて、卵の透明パックや牛乳パックを利用して作る工 作を、配布された作り方プリント通りに提出していた。おもちゃと題したそれは、卵パックが甲羅にしてあるカメだった。不格好で、今時の子供がこんなもので 遊ぶとは思えなかった。それが万博の施設に展示されていたのだ。何の創造も無いリサイクル。ゴミでゴミを作っていた。

豊かな国に生まれたはずなのに、わざわざお金を払って貧しい文化を選び、貧しい生活を自らに強いている。本当に守るべき資源は、倫理という管理者によって隠蔽され、洪水のように廃棄されている。
「戦争も起こっていない国で、君たちみたいな若者が死ぬんじゃない!」
武田鉄矢が教師となって叫んでいた。
いや、実は戦争の姿をしていない戦争が、ずっと起こっているのだ。

私が実行することのできる仕事についてー。
本日もダビング作業に伴い、VHS テープという不燃物ゴミを大量排出。北名古屋市指定のピンクのゴミ袋に入れておく。夜はバイトだ。諸問題の名前を思い出す時間はあるだろうか。