月曜日, 5月 01, 2006

言葉を言うときに

暑いくらいで、目眩が、きっとする。こんな夏日に信号の向こうまで一気に走ったら。
ビデオ編集の頼まれ仕事の際に、君が撮影した映像を見た。
それはすごく良かった。
編集なんていらない、初めと終わりだけ決めれば、それで完成していると思った。
頼まれ仕事はまた明日もするとして。
今夜はカレーを食べた。
豆がたくさん入っていて美味しかった。でも、猫の鬱がテレビやネットのコード線を噛もうとするので、落ち着いて食事を堪能できなかった。
君の名前を呼ぶ瞬間に、幾つかの言葉が口先でうずまく。
音になる前の空気の流れ。舌先の形状がそれを作っている。
それは既に言葉で、君のあだ名にすり替わる。
いまは、ゆっくりとした時間のなかで、丁寧な文章をしたためるべき時だ。
五月一日。
小学生の同級生に、今日が誕生日の女の子がいて、名前がそれを表していた。
その音階を言おうとするとき、その瞬間。僕の小学生のときに発していた言葉と同じ空気が口のなか、口先にて発生している。
その後で発音される言葉は、まったくの別物で異なる。
僕は二十七歳になっているし、世界は 2006年という西暦を数えているのだ。
全く別ものの言葉で、誕生日おめでとうと言っている。