金曜日, 5月 19, 2006

まさしくも私写真

布袋駅前に大きな写真があった。待ち合わせに遅れて向かう僕には、電車の中から見つけることはできなかった。辿り着いてから、車の中からそれを教えてもらう。
目、鼻、口、耳、それぞれのアップが並ぶ。
小牧のキンブルで購入されたデジカメも、僕の目を接写した。おそらく表現に関わる多くの必要なことは、大きなデッサンが小さなディティールを持ち得てくるかどうかではないかと思う。

久々に、亘さんが行っている「PAC 写真教室」に、お邪魔させてもらった。いまやっている課題は「ドキュメント写真」。森山大道展での話や、若年痴呆症の疑い話などを挟みながら、鍋をつつい た後で、藤井氏が撮ったテレビ画面のドキュメント写真群を見る。ビデオキャプチャーをすれば静止画が完成度を持ってくるのではなく、画面を写真で撮るとい うことで、写真がテレビの生々しさを写し出してしまうのであった。写そうとするものと、写し出されてしまうもの。

終電で帰ったのだが、乗り換え駅に着くと次発表示が無い。戸惑っていると駅員さんがやって来て、人身事故があったのでと伝えてくれた。それから待てども待てども一時間半くらい、案内の無い電車を待った。
大雨が降る前であった。本来ならば眠りについているホームにて、数人の利用客が、足止めをくらっている。寒さは無いが、眠気が我々を襲う。
この時間に写真集を開いた。
生きていくことは、欲することと、惜しみなく与えることの、どちらをも満たされる姿を求めることだと思わされる。ねばっこく、辛いけれども笑ってみせる、強さのある写真集であった。
「たまもの」(著,神蔵美子/筑摩書房/2002)という、生々しさ溢れる手触り。
眼鏡を外したアラーキーがこちらを見つめてくる。まさしくも「私写真」。これもまたドキュメンタリー。

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