土曜日, 5月 20, 2006

外部入力1

銀行跡の空き地に面した角を、自転車で曲がった瞬間、鼻に水滴が落ちて来た。冷たい。
一時間ほど前には突然の強い降りがあったし、いまは小雨であったから、これが雨粒であろうことは想像でき、なおかつ頭上の電線などをつたって、大きな雨粒になっていることも考えることができた。でも直撃の瞬間には、鳥の糞ではないかと思えたのだ。
中学生の時分、学校の渡り廊下の下で掃き掃除をしていたら、ほっぺたに液体がくっついた。それは雨粒ではなく、誰かの鼻水のようであった。すぐ指でそれを 拭い、水道で洗い流した。悪戯かもとも思ったが、狙っていた者などいない。おそらく、風に乗ってそれは飛んで来た。想像するに渡り廊下の上から、誰かが鼻 をかんでいたのではないか。鼻紙が無く、彼(彼女?)は風で鼻をかんだとしたら。
僕は、鼻への負担が少ない「水がみ」という手法が好きだ。ティッシュではなく、水で鼻をかむことである。流水でしても、溜めた水でも良い。
汚い話だが、水がみで排出された鼻水や汚れは、水の中をそのまま浮遊する。精子が泳いでいる様など、肉眼で見ることは出来ないが、人の想像力というもの は、何か肉眼で実際に見ることのできる図からイメージされるものだ。一般にパソコン用語で、写真など内容を問わず「JPEG」形式など画像データのことを 「イメージ」と呼ぶことに、僕は興味を覚えている。

僕を直撃した雨粒についてと、昨夜の遅く、人身事故のせいで電車が遅れた駅のホームにて、いたたまれない写真集を開いたことのふたつを、それぞれ詩に書けないかと思った。詩に書けないかと思ったことを、ブログ文で全部排出してみる。それは分りきったダイエットのよう。

夜は小松氏と「skype」で長電話。急いで看板を建て合う、真向かいの店のような。
明日は彼のように、カレーを作ろうと決めて、布団を敷く。
豆電球が光っている。テレビの画面が青い。即ち、ダビングスタンバイ。外部入力1。