日曜日, 5月 14, 2006

社会にアウトプットする私の作品が、最良にある方法とは

名古屋市内のギャラリーにて、展示作品を見る。
若手作家らの自主運営スペース、アートフェチと、若者向け百貨店にあるパルコギャラリー。
制度として、実績として、前提として、観念として、暗黙の了解としての、この白い部屋。
それが絶対であると突きつけられていたから、なんとかしようと、かつてアーティストが解放されようと始めたのが、オルタナティヴスペースのはじまりであったはず。だが、それも今は昔のこと。全て、表層だけが真似されているだけであるように思う。
かたや、営利主義のみのビッグネーム使用。タレント展が続く合間に行われた「ああ、荒野」森山大道、寺山修司展。スライドショーの時間にも出くわすが、照明を落とさないため、鮮明に見えず、不完全燃焼。

偶然にも、古池さんと会い、幾つかの話。
トイレが一つしかない喫茶店。男女問わず列を作っていた。

名古屋駅、百貨店でバイトする彼女と休憩時間に会い、依然ガブガブとジュースを飲む。
百貨店は、百花店であったのではないかと思う。同時に、それを言われる。
「自己編集」という言葉を思い返す。

帰りの電車内で、橋本治の連載小説を読む。「組長のはまったガンダム 前篇」(ちくま第四二二号/筑摩書房/2006)。順序良く、言葉が流れてきて軽快だ。
小説は足し算。詩は引き算。

駅まで歩く途中にて、小生が密かにファンである、ミムラの広告を激写した候。
自己編集を未だ設けないうちの作品前提の仕事たち。
プランを公開するならば、それが最良やもと思う。