水曜日, 5月 10, 2006

小学生中学年の横着、即ち愛情の枯渇と欲求

仕事というものは丁寧にしなければ駄目だ。丁寧にしなければ、出来ることも出来なくて終わってしまう。丁寧にしてギリギリなところで、自分の限界値が上が るようなのだ。まるで、RPG の経験値概念のように、僕の絵画教室も何回目かの教室で、幾つかのレベルになっているようだった。今日は、各自がモチーフを固めて制作などをしたが、教室 体験の女の子もいることも手伝って、男の子がはしゃいでしょうがない。
チョーシにのっている子どもたち。
それは、おそらく僕の言動から生まれでてしまったもの。
この教室の中で、許されることと、許されないことがあることを、子供は空気からサッと読み取る。
丁寧にしなければいけないということは、昨夜もコンビニで思ったばかりだったのに。
いつもこんな風ではいけない。
突然に僕らを襲う悲劇は、人の生き死ににまつわることで、避けては通れない出来事だった。
ちゃんと、丁寧にしておかなければ、その出来事に向かうことはできないだろう。
子供は無垢に、信じている。
全ての大人が丁寧で真摯に、自分達に接してくれるものだと。
疑いの無い前提を持っている。
やがて、自らの中で目覚める怠惰と暴力。それは愛情の枯渇と欲求そのものであった。

雨の中を帰宅した。西春駅前の仮設店舗に、パン屋さん「TOKI」がリニューアルオープンしていた。四年前くらいに、商店街から姿を消した店だ。入ると、 ほとんどが売り切れてしまっていた。きな粉をまぶしたスティックバーを求める。お客さんが、パン屋の復活にお帰りなさいと言っていた。僕もそう思う。