水曜日, 5月 31, 2006

写して、死んだふりして、はぐれちゃお!大人とは違う

子供が夢中になっているもの。それはアートと呼ばれるものではなく、アニメーションやビデオゲーム、トレーディングカードの類いで、彼らの自由帳はそのキャラクターを模写したものでいっぱいだ。
デザイン性の高いその絵に子供らは酔いしれていて、それを自分らの手で描くことに僕も共感する。かの「ビックリマン」(ロッテ/1977-)流行りし時、 我はノート一冊に「ジンクリマンシールコレクション」(1986)を鉛筆で描いた。ほとんどはそのままパクったものだったが、ビックリマンのキャラクター を自分の傾向にアレンジしたりオリジナルのマークを考案し、天使、お守り、悪魔と論理良く展開するのが魅力であるというのを描くことで体験した。
では本日はすっごく本気で模写しようと、拡大コピーなんかもしちゃって、各自がポケモンに限らず動物の図版などをしかと凝視する。
ライオンの足はどちらが下に延びているのか。定規を当てて、位置関係を意識させるなど。
公園に行きたいとごねる子もおり、終わって少しだけ走る。教室の中には風が吹いて来ず、外の方が涼しかった。
ある子は、現在のアニメドラえもんの主題歌「ハグしちゃお!」(夏川りみ/2005)を、「はぐれちゃお!」と替え歌して歌っていた。
自分のいたいように変えることは創造の重要なキー。とにかくこのつまらない世の中から脱しなければいけないとする周囲への直感のあらわれ。

火曜日, 5月 30, 2006

食い違うアート

昼のワイドショーで画家の報道がされていた。事は全国規模だ。大臣賞、だもんな。
書類の束を閲覧しながら、その画家を許していた業界というものを考えた。きびすを返して彼らは去って行くだろう。社会的にはそれが正しいとしても、絵に感動していた自分の心というものはどこに行くのだろうか。感動は倫理観と別のところに起こる。倫理観も感動も、どちらも満たされたいと人は思っている。いや、感動が倫理をひっくり返してほしいと思っている。僕はそうだ。元の絵があっても、それが優れていれば盗作とは呼ばれない。それは引用、間接的な場合は模倣と呼ばれる。芸術、文化にそれは必要不可欠だ。それが無ければ、人がわざわざ集まったり呼び合ったりしてものを享受しあっているこの社会、町は成り立たない。誰もが個室アトリエに籠っていればいいだけだ。それでは生きていけないから、真似をし合うなかで人は言葉を生んだ。

この町の行方、特にこの町の芸術、文化、更に限定すればアートの行方。僕には現代美術畑の、言葉を用いた表現媒体の行方。それを語ることは杞憂ではないはずだが、後になって、そんな側面を生かしていない自分の発言が恥ずかしくなった。後になって、どこかで勉強したことを露呈しているだけだと本当に赤面してしまった。今晩のバイト中はそのことがずっと頭の中にあって、いつもより疲れてしまった。

やりましょうね、また。と言って別れた同年齢のドラマーを思い浮かべる。
彼と音を合わせて、自分のことを「俺」と呼ぶか「僕」と呼ぶかで食い違ったりした。

月曜日, 5月 29, 2006

のたれ死にになりたくなかっただけの画家

面接があって、市内まで出て、そのついでに買い物なんぞと歩いていたら、デパート沿いの歩道で声をかけられてしまい、無視をしても長く着いてくる。女は、 何かの勧誘員で「毛皮とレザーについてのアンケート」とかいう書類を突き出す。赤信号にも挟まれ、しつこいので適当に書いて終わらせようとすると、この女 は気持ち悪い話し方をするのだ。
「おいくつなんですかぁ? え〜。もっと若いかと思いましたぁ。」電話番号とメアドを書けと迫ってきては、「電話番号を書いてくれたら、私が電話して、ありがとうございますっ!って 言いたいんですぅ!」とブリッコする始末。この企業の接客マニュアルにあるのだろうか? 恐ろしい。寒気がした。「携帯電話でいいんで、番号を書いて下さいねっ」とくるので、「携帯電話だからいやなんです」と返すと、女はきびすを返し、何も言 わずにスタスタと立ち去った。電話やメアドを集めるのが目的の仕事なのだろう。何も書かなければ大丈夫だ。捕まらなければ良かったのが一番だが、腹が立っ た。見れば、月曜の市内は勧誘やティッシュ配りで一杯だ。フリーターであろう彼、彼女らが、通り過ぎ行く人々を下げずむように流している。そのフリーター を、正社員や派遣社員らが見下すように煙たがっている。この路上は断絶しっぱなしだ。もし一度でも心を開く隙を見せれば、さっきの僕のように面倒なことに なる。互いの防衛策が行き交い、弱肉強食が毎日営まれている。そんななかで、人は静かに味噌汁をすすることがしたかった。珈琲でも、スープでもなんでも良 い。町では、のたれ死にだけはしないように必死なのだ。そのぶん、家で眠りたい。
僕はドイツまでの日数を数えた。
本日も歯医者に行って口を開け、目を閉じた。

勧誘女のせいで胸くそ悪かった気分は、偶然通りかかったアップルストアで直った。先日発売されたばかりの「Mac Book」(Apple/2006)を店頭で触ったからだ。黒が良い。G3を思い出す。キーボードが一体型になって、猫の毛が挟まらない構造になってい た。Intel プロセッサになって、これで 13万円台とは安い。スーパードライブは欲しいなと、一人でブツブツ言っているうちに気分はすっかり良くなった。
そして地下鉄で帰って、歯医者へ向かったのだ。 眠る前に mixi を覗いたら、マイミクの方々が各自の日記で同じ話題を取り上げていた。
ぬおっ!と驚く。
僕が卒業した大学で指導していた画家が、文化大臣賞に選ばれていたものの、匿名投書があって、盗作疑惑が持ち上がったらしい。
この画家は教授という肩書きを持っていたが、美術界における権力を常に振りかざす強欲にまみれた貴族のまさに化身であった。僕や周囲は皆、忌み嫌っていた。多くの問題や騒動の経て、退職させられていたエピソードを持つ。
疑惑通り、これは完全な盗作だ。
多くの美術愛好家のブログなどで、話題になっているのを見る。昨年の大規模な巡回展などに感動したと綴っている方などにはショックが大きいと書かれていた。これは模倣によって作品が似てくるというような次元ではない。この画家は、自らの純粋な創造性を自らで裏切った。
ハリボテの名誉はいつか、その皮をひっぺがされる。
だから、名前や社会的地位に騙されてはいけないんだな。ボブディランのプヒーが頭に浮かんだ。
一枚二枚に限ったことではない。彼が創造している芸術そのものが盗作の域を出ていないものなのだ。プライドの無い、ただの西洋かぶれに過ぎない。そこには模倣をしてしまうという葛藤のぶつかりを、無視してすっ飛ばして独善的にやってきた彼の仕事っぷりが現れているのだ。
絵は嘘をつかない。

呆れ果て、疲れた。
実家で生まれたという子犬の寝顔を、携帯電話の画面で見た。
猫の鬱がベッドから落ちそうだった。
市内で買ってきた「らくがき帳」(無印良品)は机に置いたままである。購入する際にレジでビニール袋は要らないと言うと、店員は丁寧にお印テープを小さく 切って折り畳み、バーコードの上にちょこんと貼った。剥がすときに表紙の紙がビリッとならないようにとの配慮であろう。粘着部は少ししか付いていない。そ れでいてつまみやすく、剥がしやすい。

http://www.apple.com/jp/macbook/design.html

http://www.asahi.com/national/update/0529/TKY200605290154.html

http://bluediary2.jugem.jp/?eid=361

http://www.morimuraseiichi.com/shashinkan/b/b_35.html

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_92b9.htm

日曜日, 5月 28, 2006

作品のもとって

些細な仕事に過ぎないことで、心の動きをあらわそうとする。心の動きは些細だと限らない。それに条件を当てはめるのは避けるようにして、味噌蔵に居た。不満があるのも無理は無い。何の答えも明示はしておらず、迷いの姿のみがあるとされてもおかしくはない。もう分りきったことだった。これくらいの奇麗な感じなら、上手い奴は出来るさ。そう思ってみる一日だった。
蔵の中庭に面した、軒下に座って、皆と雑談をしていたとき、未だ見つからぬ作品のピースを隠したままの島さんが「作品をつくるときって、何からもってくるんですか?」という質問を言った。細かくは異なるかもしれない。本日分の日記は思い出して書いているから、島さんの意図は違ったかもしれない。問題はその事実よりも、その質問が良いなと思っていることだった。いまもそれを気にしている。その時間は「作品のもと、というもの自体が仮想めいたもので、実はもと自体は作品によってしかあらわれないんじゃないか、だとしたら、もとなんてものは無いんじゃないの?」なんて、理屈をこねくり回した返答をしてしまったのだが。いまはよく分らない。ただ、思うのは、構図めいた、もとネタが世界にあって、それをアート作品化したり、漫画化したり、文章化したり、お笑いコントにしたりするという仮想の考え方は、どこかで何かを限定してしまい、紋切り型の方向に持っていってしまうような気がしてならないのだ。
このことは、もう少し頭に置かれるであろう。

開館時間を終え、蔵の二階で谷村さんがプラン展示で作った様々なジャムを囲んだ。プチ打ち上げみたいな席を過ごす。僕がどんくさく、ああでもないこうでもないしているうちに、アートっていう生き物は敏捷に巣食っているんだなぁと思う。面白そうな企画が多い。

ゴルフをやって、ブービー賞。りんごとはちみつのジャムを頂いて帰宅す。

土曜日, 5月 27, 2006

何故見つけられないのか

不眠有休で味噌蔵へ二枚の額を運び、壁に立てかけた。
誰もいない朝七時の蔵二階。乱雑に見える蔵の収蔵物と同列に額を置くと、一気に並列した空間を征するように見えた。窓側の壁にもう一枚。対になるようにして、気持ちが落ち着く。
やがて荒川さんが見え、昨晩遅くまで制作などをしていたであろうメンバーらがやってきた。
猫の鬱による挨拶。基本的に鬱は人間の女性が好きだ。野郎は常に苦手である。
僕らがプラン展で受付などをやっていた間も、鬱は部屋で眠っていただろう。いろんな方と話をすることができた。天気予報とは異なり、一日中晴れで持ちこたえてくれた。
先日、僕のフライングで搬入に行ってしまった西山氏のグループ展を見に行く。大学ギャラリーの小さな部屋が、熱気のある絵で埋められていた。学食でお昼をとり、壁面にできた抽象絵画のような黒カビに驚く。御飯は美味しかったが、ショックで気持ち悪くなる。
猫の鬱から、月曜に新規バイトの面接だニャと取り次ぎ連絡が入る。味噌蔵に戻るときに。留守番電話に潜り込まぬよう、僕は手帳にメモをした。

蔵の中庭に島さんの作品が点在設置されていた。彼女が何気なく、ここに並んだ三点とは別にもう一点あると言ったらしい。本当に何気なくだったらしかったそ れに、皆も何気なく探していたのだけれど、十分を過ぎ、二十分を過ぎて探している間に冗談は少なくなり、皆の本気の探索スイッチが入ってしまった。
ここにいられる時間を惜しんで、延々と居ることができる一杯は誰もが地面を見回した。ある者は地面に這いつくばり、ある者はヒントをせがみ、推理に推理を 重ね、自分の常識を何度も覆し、それを自分で裏切っては保ちながら、ずっとどこかにあるというもう一点を探し続けていた。
はじめ面白がっていた島さんも、どこかで申し訳なく感じたのかもしれない。もういいよを繰り返していたが、こういう障害にこびりつく気質の人間は止められない。久しぶりに会った門間氏が「男は探すのが好きなんだなァ」と地面に呟いた。 最後は僕と、西山氏と福岡氏だけで夜七時過ぎ。
プレ展の開場時間はとっくに終了していた。
暗くなってきて探しにくい。
疲れはて、もともと隠すつもりで置いていないというそれを、何故見つけられないのか、かなり限定された面積なのに何故見つけられないのかという悔しさでいっぱいになった。
諦め、やりきれなく、帰宅した島さんに電話をする。泣きついて答えを聞こうとした。しかしおそらく彼女は移動中か何かで通話が出きなかった。
各自がフラフラ、家路に着く。
いちばん気持ち悪いと悔しがっていたのは西山氏であったように見えた。僕は寝ていないことも手伝って、ハイを通り過ぎ、分らなくなり、帰ったと同時にテレビの前でつっぷした。睡魔は見事に僕の身体を押さえつけ取り巻き、眠りへと誘った。
実に深い眠りだった。
暗いラインでベースギターが鳴っている。
甘ったるいボーカル。女装した男性なのか、男装した女性なのか。
ふんわりと快楽の中で目覚め、数時間のトリップは徹夜と一仕事がもたらす体験で、酸素など無理に入れなくても水は充分に美味しい。
レタスを皿に大盛り。マヨネーズ和えのサラダスパ。
茹でさやえんどうと焼きシシャモ。
重役秘書の猫の鬱さんにお裾分け、舌なめずり。あちちと猫舌っぷりをみせる。
僕の記憶回路は謎の高速回転をし、何故か数日前に見た昼ドラの「我が輩は主婦である」(TBS/2006)のことを鮮明に思い出す。劇中に溢れる言葉の使い方が面白かったんだ。
煙草でも吸えたら、落ち着けそうだった。

http://www.tbs.co.jp/ainogekijyo/syufudearu/

金曜日, 5月 26, 2006

We have to do it.

昨晩の判断が気持ちを整理させてくれていた。プラン展の為の制作は、一日前になってようやく冷静に座礁をした。それは停滞のようであったが、それ以上に重要なことだった。表現したいことを説明するのではなく、存在しているものにすることを思った。
額を二枚用意する。
入れる絵は決まっていた。
何か言葉を入れるかを考える。
考えている段階でその答えは不明瞭となることが後で分る。まったく、毎回同じ問題がこうも生々しく立ち現れてくるのは凄い。未整理とか、未解決という解釈ではなく、僕の制作には常に起こる問題なのだ。絵のこと、言葉のこと、それらを並べること。

アルバイトの最中に、任天堂の次世代機「Wii」が思いのほか安価であるという公式発表を知る。こいつは嬉しいぜと小走り。
アルバイトを終えて帰宅すると、丁度「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日/1987) が始まる時間だった。今晩の議題は「日本はアメリカの属国か!?」。かけながら、制作云々をしようとしたら、こいつが白熱した議論となってきて見入る。護 憲派の幼稚っぷりを叩くやりとりは見せ物的に面白いけど、不毛感が拭えぬ。でも、それを抜きにして行う話し合いというのは偏っていて、結局、会議室の外で は機能しない結論になってしまう。だから面倒や下らないという判断とは別に、話し合いを行っていかなければ、世界を排他主義に進ませてしまうのだろうし、 実際のそれがテロに繋がっているのだろうと思った。改革派と保守派の公正な条件からはじまる対立!
司会の田原聡一郎に、抽象的すぎる、だから君はだめなんだと言われるかも。

結局、文字通り朝まで見てしまった。世界が国と国のあらゆる力の均衡で成立していることを聞くと、国際交流のアートプロジェクトなんてのは幸せなことなんだなと思った。
そして、朝から、二枚の額を見直してみた。

http://www.nintendo.co.jp/n10/e3_2006/
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

木曜日, 5月 25, 2006

紋切り型の制作じゃないと反抗している

雑用を一気に片付けて、プラン展の為の制作を進めた。
三ヶ月後にドイツ、ブレーメン市に行き、向こうで制作する作品の構想展示であるわけだが、僕自身はうまくまとまらない。通常に制作する段階のものは常に抽 象的だ。思えば、昨年時のプロジェクト前プラン展でも同じような状況だった。あのときはドイツから送られてくる作品プランを受けるのに忙しいのも手伝って いた。それを理由にして、この構造には言及していなかった。
いまはあれほど多忙ではない。落ち着いて、腰を据えて考えることができる時間がある。
ノートに数ページまとめていく。
サンプルとしての物を作りかけてみた。
夕方の定例 bnap06ミーティングを終えて、今夜は皆がそのプラン展の制作にあたりたかったものだから、九時には解散して、帰ってからそれを見直した。
鶏の生姜茹を醤油とからしで食べる。
一見、無関係のような素振りをしながら、全ては密かに散策していた。

日中に、西山氏らのグループ展を見に大学ギャラリーに行ったが、勘違いで今日は搬入日だった。よくあるミスは自分の現状を教えてくれる。味噌蔵で似たような話。
サンプルはやめにした。
サンプルなんぞ見たくはない。
誰よりも僕自身がそれを知っていると言われ、そうだなと思った。
いまは抽象的な思考を紙の上に定着させていく仕事しかできない。
足りない頭で体裁の良い計算をして、自由であったはずのスタジオを狭めるのはいやだ。そこを力技で出し切り、サンプルを仕上げるお仕事は卒業した段階だと思う。

愛おしいイメージで包みたい。
静かに時間が向かってくる。味噌蔵のような光景も、もう見れなくなる。今週の土日はカメラを持って撮り続けることにする。
そして今夜はよく眠り、紋切り型を脱したく夢を見る。
貧しいままで、自己と向き合う夏になりそうだ。
アルバイトの申請を幾つも続けている。

水曜日, 5月 24, 2006

公園で絵を描き、写真を撮った子供たち

「PENTAX MV-1」(1979)に白黒フィルムを入れた。こいつは軽いので、気楽で楽しい一眼レフだ。藤井氏曰く頭が良いそうで、絞りを決めれば強引に撮ってくれ る。前回カラーで出した二本分の 35mm も奇麗に撮れていた。作品にダイレクト使用するものではないから、現像はドラッグストアの安注文で充分だと判断する。いまは金欠病にかかりっぱなしなの だ。
良い天気となった本日水曜日は、絵画教室近くにある公園まで歩き、子供らとそこでスケッチブックを広げた。パノラマチックに描いてくれよとするが、目の前 にある遊具を凝視してしまってばかりだった。学校の放課時間ということもあって、どんどん遊びに来る子供が増えてくる。それで集中は途切れることもあり、 時折遊んでは、走ったり転んだりで、みんな泥だらけになった。僕は、彼らが常にどこにいるかだけを気掛かりにして、妙に深刻ぶった高校生には近づかせない ようにしたりと、冗談のようでマジな話。ファインダーで覗いている場合ではなかった。
開放的な気分で絵が描く環境を手に入れるという為に、苦労するのは常にである。 無事に身体を活性化させたまま、絵は尻切れトンボと なってしまったけど、本日の教室を終えた。お迎えを見送ってから、原付で北名古屋市に帰る。寄り道をせず、一気に味噌蔵へ。ファミコンのアドベンチャー ゲームのように場所移動が一瞬だ。プラン展の準備をしている面子と、昨晩より発生した書類関係の確認をする。それから、僕の仕事に必要な資料として、蔵に 大量に保管されていた漫画雑誌の付録漫画本を手にとる。なんと見事に、その中にあった「スーパー万兵衛」(著,つのだじろう/「少年」付録/1959) は、先日購入した「愛‥しりそめし頃に‥」(著,藤子不二雄A/小学館/1989-)の最新巻、第七集に登場してくるのだ。
満賀らが つのだを尋ねると、これを執筆しているという場面があり、つのだの師匠である田川水泡が、厳しく指導しているという話が語られる。
その漫画が印刷発行され、幾多の手を渡り、いまこうして二十代後半の藁半紙に向かって絵や言葉などを描いている男の机の上にあるのだと思うと、グッとくる。
その男が描こうとしているものは、彼が三ヶ月後にドイツの町で作ろうとしている作品についてである。昨晩「イメージ」という言葉をプラン展で使用することを決めた。
「ブレーメンでのブックメイキングのイメージ」と書く。

晩ご飯に鰤大根を食した。御飯が何杯でも入っちゃう味わい!和食万歳。
食後すぐに珈琲を入れ、写真をパラパラし、デッキには常にダビングを行わせ、同時に藁半紙を広げた。
子供らとやってきた絵画教室の、前から約束していた展覧会を、八月までに行うことを話す。いま新鮮に感じる作品のイメージについてを話す。
なんと、PENTAX へのフィルムはうまく装填できていなかった。
子供らのショットも全部、抽象的な記録行為に昇華されてしまった。

火曜日, 5月 23, 2006

まだまだ新しい歯医者と我だ

寝癖がついたままで傘を差して「ぱんだ歯科」。今日は一日中雨だ。お昼に一事帰宅した君が、スパゲッティと牛乳に茸をあえた塩味のそれが、酸性雨の湿度を 含んで歯の間に挟まっているのが想像できた。治療している横から、痛めつけているわけだから歯磨き指導に圧力が発生してしまっても仕方ないけど、ここはと ても優しいので、巧妙に嫌味ではない。郊外のこの駅前には、どこもかしこも歯医者とコンビニだらけだ。みんな倦怠気味に競っていたが、新しいここなどは、 その点すらりとこなしている。
治療ふんばった後、駅前のパン屋さん「TOKI」に立ち寄ってパンを購入。名物の海苔巻きスティック醤油味の味は変わらず美味しかった。同じく、店員のマ イペースぶりも変わらない。どこかしら、高圧的というか、良く言えば媚びた態度のない客対応なのである。これが西春に古くからある温度なのかもしれない。

危機的状態であった虫歯は、もうすっかり何の痛みも無くなった。薬を詰め込んで、正式に被せるだけだと聞く。今日の治療はその投与だった。針をまたたくさん刺してもらっていたようだ。
歯医者以外の仕事は、まだまだうまくいかない感じだったけど、アルバイトを終えて帰宅した遅くには、今日は良かったと思えた。
ひと仕事を要するファックスが一件。哀しい知らせのメールが一件。
立て込む今月末の為、歯医者への通院も週一単位で続けることにした。充分さね。

月曜日, 5月 22, 2006

日曜日晩カレーライス、ニート非戦し本を読み、聖戦に備えよ

昨晩は、炊きたての御飯にマーガリンを放り込み、刻んだセロリの葉も混ぜ込んだ。この甘いライスがカレーを出迎える。僕はルーが少ない感じが好き。見事に二合たいらげた。
ダビングばかりじゃなく、映画を見ようと寝転んだけど、そのままスピスピタイム。朝はすぐにやってきて、月曜日のお仕事が展開されたのであった。

「二十歳以上のニートを扶養控除外とする」と自民党が考えていると、朝日新聞一面にあるのを見る。どうやって、ニートとフリーターを区別するんだろうかと 疑問に思っていたら、なんてことはない。政治家らにその区別などするつもりは全く無いのだ。就職していない者、皆それ即ちニートである。
こいつはますます締め上げるわけだな。これでニートが減るわけなどないぞ。規則で解決できるわけがない。ますます、肩身は狭くなり、陰鬱した闇が横行するだろう。
「映像でつづる昭和の記録 22巻 -昭和43年、44年・昭和元禄-」(NHKサービスセンター/1988)をダビングしながら鑑賞し、東大の学内紛争を眺めた。三十七年前の学生のように 今日のニートは決起する術を持たない。健康的に戦っている暇など無いくらい不健康だ。闘争で時給は得られないことを分ってしまっている。
大衆雑誌に有名人の本棚拝見というコーナーがあり、AV女優の森下くるみが出ていた。強烈な蔵書が並んでいた。彼女に潜む修羅を、そこに見るのは野暮だと分っているが、ニートは本を読めと吠える。
それにしてもやはり、ニートとアートは音が似ているぜ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000007-kyodo-pol
http://blog.livedoor.jp/morisitakurumi/

日曜日, 5月 21, 2006

ひどく剥き出しに食べる人

とある慈善事業のような仕事にゴーサインを出していたが、気持ちの現れか、それに遅刻し、福岡氏ひとりを働かせてしまった。蔵には彼しかおらず、詰めかけ た五十人あまりの対応を押し付けてしまった。申し訳ないと、椅子に座り、小一時間ほど話す。彼は次の行動のリストを取り出し、時間を悔いていた。
分れてから身体を引きずり、町中にて買い物。陽射し強く、汗ばむ感じ。
ドラッグストアに出しておいた 35mm の写真を取りに行く。掃除以来、フィルム写真が圧倒的に良く見える。
帰宅して、ビデオダビングしながら来週のプラン展の為の仕事をしようとする。
「ジャッキー・ブラウン」(監督,クエンティン・タランティーノ/パム・グリアー、サミュエル・エル・ジャクソン/1997)を、流しっぱなしにしておい たら、ロバート・デニーロがメラニーという娘を撃つシーンに衝撃を受ける。見たことはあるのだけれど、あのシーンとその前後は秀逸だ。タランティーノの映 画は、どのような場面でピストルがぶっ放されてもおかしくはない空気が張りつめていて、ヒヤヒヤしてしまう。誰もが欲望を剥き出しにして愚かだ。だからこ そ、そんな、ひどく剥き出しなところが格好良い。

bnap06 では、ドイツ、ブレーメン市にて作品を作り発表する。
それから日本に帰ってくる。
それを決めた。

幾つかの記録映像と、メモを用意した。あと必要なのはカレーライスだと書く。

土曜日, 5月 20, 2006

外部入力1

銀行跡の空き地に面した角を、自転車で曲がった瞬間、鼻に水滴が落ちて来た。冷たい。
一時間ほど前には突然の強い降りがあったし、いまは小雨であったから、これが雨粒であろうことは想像でき、なおかつ頭上の電線などをつたって、大きな雨粒になっていることも考えることができた。でも直撃の瞬間には、鳥の糞ではないかと思えたのだ。
中学生の時分、学校の渡り廊下の下で掃き掃除をしていたら、ほっぺたに液体がくっついた。それは雨粒ではなく、誰かの鼻水のようであった。すぐ指でそれを 拭い、水道で洗い流した。悪戯かもとも思ったが、狙っていた者などいない。おそらく、風に乗ってそれは飛んで来た。想像するに渡り廊下の上から、誰かが鼻 をかんでいたのではないか。鼻紙が無く、彼(彼女?)は風で鼻をかんだとしたら。
僕は、鼻への負担が少ない「水がみ」という手法が好きだ。ティッシュではなく、水で鼻をかむことである。流水でしても、溜めた水でも良い。
汚い話だが、水がみで排出された鼻水や汚れは、水の中をそのまま浮遊する。精子が泳いでいる様など、肉眼で見ることは出来ないが、人の想像力というもの は、何か肉眼で実際に見ることのできる図からイメージされるものだ。一般にパソコン用語で、写真など内容を問わず「JPEG」形式など画像データのことを 「イメージ」と呼ぶことに、僕は興味を覚えている。

僕を直撃した雨粒についてと、昨夜の遅く、人身事故のせいで電車が遅れた駅のホームにて、いたたまれない写真集を開いたことのふたつを、それぞれ詩に書けないかと思った。詩に書けないかと思ったことを、ブログ文で全部排出してみる。それは分りきったダイエットのよう。

夜は小松氏と「skype」で長電話。急いで看板を建て合う、真向かいの店のような。
明日は彼のように、カレーを作ろうと決めて、布団を敷く。
豆電球が光っている。テレビの画面が青い。即ち、ダビングスタンバイ。外部入力1。

金曜日, 5月 19, 2006

まさしくも私写真

布袋駅前に大きな写真があった。待ち合わせに遅れて向かう僕には、電車の中から見つけることはできなかった。辿り着いてから、車の中からそれを教えてもらう。
目、鼻、口、耳、それぞれのアップが並ぶ。
小牧のキンブルで購入されたデジカメも、僕の目を接写した。おそらく表現に関わる多くの必要なことは、大きなデッサンが小さなディティールを持ち得てくるかどうかではないかと思う。

久々に、亘さんが行っている「PAC 写真教室」に、お邪魔させてもらった。いまやっている課題は「ドキュメント写真」。森山大道展での話や、若年痴呆症の疑い話などを挟みながら、鍋をつつい た後で、藤井氏が撮ったテレビ画面のドキュメント写真群を見る。ビデオキャプチャーをすれば静止画が完成度を持ってくるのではなく、画面を写真で撮るとい うことで、写真がテレビの生々しさを写し出してしまうのであった。写そうとするものと、写し出されてしまうもの。

終電で帰ったのだが、乗り換え駅に着くと次発表示が無い。戸惑っていると駅員さんがやって来て、人身事故があったのでと伝えてくれた。それから待てども待てども一時間半くらい、案内の無い電車を待った。
大雨が降る前であった。本来ならば眠りについているホームにて、数人の利用客が、足止めをくらっている。寒さは無いが、眠気が我々を襲う。
この時間に写真集を開いた。
生きていくことは、欲することと、惜しみなく与えることの、どちらをも満たされる姿を求めることだと思わされる。ねばっこく、辛いけれども笑ってみせる、強さのある写真集であった。
「たまもの」(著,神蔵美子/筑摩書房/2002)という、生々しさ溢れる手触り。
眼鏡を外したアラーキーがこちらを見つめてくる。まさしくも「私写真」。これもまたドキュメンタリー。

http://www.amazon.co.jp/image,,

木曜日, 5月 18, 2006

少ないと称する基盤は己の脳内にある資料庫?

午前中、名古屋市内で新規バイト面接。とんぼ帰りして、北名古屋市で定例バイトの変則シフト勤務。気さくにあたる。行き帰りの電車内でずっと本を読む。新規が決まれば、読書時間が増えるな。ブックカバー無しでいろいろ読み込みたい。
数少なくなった ドラッグストアでの 35mm フィルム現像サービス。それを持ち込みに走る。原付のガソリンも少なくなっていた。注文サイズは意識的に L判をお願いした。
鮭とタマネギのマヨネーズ和えスパゲッティを食べて、茹でるときに麺を少なくいれてしまって、その要領の悪さを誤摩化しながら。
bnap06 定例ミーティング。もう話すことも、ほとんど確認事項ばかりかと思っていると、思わぬ方面から光明が射し込む展開あり。
終わってから、少しだけアート状況話をした。
十一時過ぎに部屋へ戻って、小腹が空いたので味噌ラーメン食べる。
頭から、叶美香が出した CDシングル「O・SU・SO・WA・KE~プルプルンのキュッのボン!」(スーパービューティーミカリン+K with キューティーモンすたーズ/2004)のサビが離れない。困った。

この生活というものは、何が意識化で、何が無意識化なんだろうかなぁ。

水曜日, 5月 17, 2006

創造のメカニズム、料理本みたいなもの

雨が降っていたけれど、今日は原付で出かけたい気分だった。
だからリュックにして出かけた。長時間のダビング処理をプログラムしておく。一日中、ビデオデッキは動きっぱなしだ。

雨は強弱を繰り返していた。
福岡氏宅に立ち寄って、玄関で小話。ヘルメットはロックマンの形状に似ている。疲弊した話ばかりになるのは困ったものだ。雨を理由に出て、それでそのまま絵画教室へ。なんと初めての男性モデルデッサン。西山氏にお仕事としてお願いしていた。
雨のなかを歩いてきた子供たち。
全頭身をスケッチブックに収めるのに苦労していた。一年生の子らは凝視を決めて、瞬時に特徴を捉えていく。
そのメカニズムを把握したい。
それが、教室の後に西山氏と部屋で話し込んだ内容であった。価値相対主義と、個人主義は似て非なるということ。相手の視点や色を、こちらが見る力についてだ。

夜道、雨、原付で帰宅。対向車もゆっくり来てくれた。銀鮭が煮付けられて待っていた。履歴書を書いたり、YouTube で藤子アニメのオープニングを検索したり、シャッターを切ったりで、雨はシトシトシト。

言葉以前のものが、かたちになりつつあるよう。まるで星になる前のガスだ。

http://www.youtube.com/watch?v=8j7BQcS6OHE&search=Fujiko

火曜日, 5月 16, 2006

引用として思い出す言葉、この国に生まれて、いま

健全であろうとの誓いを表明せんがため、今日も歯医者へいざ行かん。心優しき声の前に、口を開いているだけが精一杯。でもそれだけで、治して頂ける。ああ この国は豊かで平和で良かった。この国に生まれて良かった。いろんなことを並べて思考しよう。受付で小額の治療代を払う。国民健康保険に感謝。政治が万事 うまくいっているとか思いはしないけど、この国は社会保証というものをよくぞしょいこんでくれた。今朝、ダビングしながら見た「遊星仮面」(エイケン /1969)の中で、宇宙ステーションを守り抜こうと決意した地球連合軍の長官は日本語でこう言っていた。
「目の前で母親が殺されているのを、黙って見ていられるか!」
そりゃそうだと僕は頷いた。
この国の選択肢もそうではなかったか。いや、この国とかじゃなく、人間そうでしょう。人間そうなんだ。もっとも、殺される局面まで放っておいた事実を自責 すべきかもしれない。虫歯も痛くなってから歯医者に向かうのは、勝手な健全だ。倫理的なことと、人間らしいことは、実は別なことのはず。
「革命は非人間的な行為だ」
ゴダールが女学生オルガに、車に乗り込んでから言っていたのを思い出す。「アワー・ミュージック」(監督, J.L.G/2004/仏)という映画だ。DVD がもうすぐ発売らしい。金も無いのに手を出す決意。貧しいアーティストほど、コンビニ弁当で太っていくのが、いま。従来どおりの構図とは行かぬ。 先日、市内を歩いていたときに、愛知万博の建造物が各所で再利用されていることに気付いた。環境保全、自然との共存、エコを主題とした万博だったからであろう。しかし、新鮮味の無いネタを使い回していて、どうも格好悪い。
青 空駐車場の区切り壁を、万博で使用されていたウッドデッキで置いたところで、それが本当に資源を生かしていることとは思えない。長久手からここまでの輸送 にかかるガソリンは如何ほどか。昨年の夏、愛知県内の小学生は、リサイクルアートが夏休みの宿題で出されて、卵の透明パックや牛乳パックを利用して作る工 作を、配布された作り方プリント通りに提出していた。おもちゃと題したそれは、卵パックが甲羅にしてあるカメだった。不格好で、今時の子供がこんなもので 遊ぶとは思えなかった。それが万博の施設に展示されていたのだ。何の創造も無いリサイクル。ゴミでゴミを作っていた。

豊かな国に生まれたはずなのに、わざわざお金を払って貧しい文化を選び、貧しい生活を自らに強いている。本当に守るべき資源は、倫理という管理者によって隠蔽され、洪水のように廃棄されている。
「戦争も起こっていない国で、君たちみたいな若者が死ぬんじゃない!」
武田鉄矢が教師となって叫んでいた。
いや、実は戦争の姿をしていない戦争が、ずっと起こっているのだ。

私が実行することのできる仕事についてー。
本日もダビング作業に伴い、VHS テープという不燃物ゴミを大量排出。北名古屋市指定のピンクのゴミ袋に入れておく。夜はバイトだ。諸問題の名前を思い出す時間はあるだろうか。

月曜日, 5月 15, 2006

肩書きで綴られる人生観の倫理は管理か

ミムラを好きだと言っても、まだポジティブに受け取られるが、グラビアアイドルが好きだと言うと、あらゆる女子に退かれる。そりゃそーだ。仕方ないわな。 でもあらゆる週刊誌や青年コミック誌には毎週、水着でこちらを見ているのだ。需要に裏打ちされた商品イメージしか、企業は生産しない。コンビニには常に欲 望が並べられている。
男子の欲望と女子の欲望は相反することが多いのかもしれない。
ここは「かもしれない」と書きたい。いまはそう書いておこう。
こちらを見ている山崎真実氏(グラビアアイドル)。その写真をつまみ、次へとめくる小生、村田氏(詩人)。とかいう時間があった本日。
十代での妊娠が悲劇かどうかなど、大人の勝手な視点だ。いつも倫理で管理化におこうとするもんだから、社会はすさんでいると言わざるをえなくなるんだ。
社会に文句を言う状況を、自分から作っているのではないか!

高野豆腐と、あおまめ豆腐と、菜の花の卵焼きに、ジャガ芋の煮付けで夕食。
なんとこの頃、自分の辞書には皆無であった「肥満」という現象が身体に生じてしまっているのであった!本当に信じられない。代謝が悪くなっているのだろうと、ナースの妹が言った。ヤバイ。ヤバイぞこれは、ウッチャンがコントでしていた「満腹フトル」になってしまう!
顔がふっくらするくらいはあったが、身体全体とかは人生初だ。
危険を案じ、ヨガをする。電気を消して、マザーの音楽を背後に聴いて。

倫理と管理、猿批判の文章。赤瀬川原平(美術家)が書いていた。

日曜日, 5月 14, 2006

社会にアウトプットする私の作品が、最良にある方法とは

名古屋市内のギャラリーにて、展示作品を見る。
若手作家らの自主運営スペース、アートフェチと、若者向け百貨店にあるパルコギャラリー。
制度として、実績として、前提として、観念として、暗黙の了解としての、この白い部屋。
それが絶対であると突きつけられていたから、なんとかしようと、かつてアーティストが解放されようと始めたのが、オルタナティヴスペースのはじまりであったはず。だが、それも今は昔のこと。全て、表層だけが真似されているだけであるように思う。
かたや、営利主義のみのビッグネーム使用。タレント展が続く合間に行われた「ああ、荒野」森山大道、寺山修司展。スライドショーの時間にも出くわすが、照明を落とさないため、鮮明に見えず、不完全燃焼。

偶然にも、古池さんと会い、幾つかの話。
トイレが一つしかない喫茶店。男女問わず列を作っていた。

名古屋駅、百貨店でバイトする彼女と休憩時間に会い、依然ガブガブとジュースを飲む。
百貨店は、百花店であったのではないかと思う。同時に、それを言われる。
「自己編集」という言葉を思い返す。

帰りの電車内で、橋本治の連載小説を読む。「組長のはまったガンダム 前篇」(ちくま第四二二号/筑摩書房/2006)。順序良く、言葉が流れてきて軽快だ。
小説は足し算。詩は引き算。

駅まで歩く途中にて、小生が密かにファンである、ミムラの広告を激写した候。
自己編集を未だ設けないうちの作品前提の仕事たち。
プランを公開するならば、それが最良やもと思う。

土曜日, 5月 13, 2006

仮設の窓

明け方に、コンビニに、ワゴンが突っ込んだらしい。新規のバイト申請の為に、昨夜からプチ奔走。自動ドアの横の窓が割れ、壁が一面無くなってしまっていた。履歴書を入れた封筒を出すときに、コンビニでそれを目撃した。風が吹き込んできている。
真冬だったら、大変なことだった。
怪我人は無く、初夏の空気を感じさせてくれもする。
大工さんが仮設の壁と窓を、一時間足らずで取り付けていた。窓は、透明ビニールで施してある。木製のフレームだ。
このまま、いっそ仮設素材で増設して、コンビニにオープンテラスを作ってしまえば面白いのにと思った。このバイト志望の合否通知は来週の火曜日に電話で知らされる。不採用者には何のコールも無い。
そういう予定で、近日が展開される。
そういう手筈である。
後は、作品なり、何なりをちゃんと外部に提示する仕事が大きく必然になるのを待っているわけだ。待っているのが正しいかどうかは別として。

古本屋で「佐藤雅彦全仕事」(広告批評の別冊/マドラ出版/1997)と「二十歳の原点」(著,高野悦子/新潮社/1971)を購入した。計二百円。
方法論を構築する言葉と、自己に対面する言葉。

そして窓を覗いていた。

金曜日, 5月 12, 2006

パッパッシュル、パッパッシュル、パッパッリロ、パッパッパリロ、ウオ〜

革命的掃除は依然、VHSビデオを DVDにするという果てしなき旅に継続されていた。

本日は、雑務の傍ら「ウッチャンナンチャンのコンビニエンス物語」(テレビ東京/1990)の所有セルビデオ二本「望郷編」と「恋愛編」を順に取り込む。 このドラマはコンビニをテーマにしていると同時に、フリーターと呼ばれ始めた頃の青年像を描いたもの。いま見ると、自分の状況と重なってしまう。フリー ター黎明期に、今日の問題が全部あったんだなぁと思う。
放映当時は小学生だったので、ミンクスというロックバンドの主題歌と、コメディータッチなところが好きだった。キャストはウンナンファミリーが彩ってい る。勝俣氏も、レンタルビデオ屋のバイト役で登場だ。カジュアルなスーツが格好良かった時代。バブリーな服装に、多くの、実に青春らしい葛藤。
ウッチャンこと内村氏が主人公になっていて、随所に独白的なナレーションが入る。

それにしても、主題歌の「パッシュ」(ミンクス/1989)はいま聴くと、こっぱずかしさはあるものの、サビは小気味良い。
パッパッシュル、パッパッシュル、パッパッリロ、パッパッパリロ、ウオ〜
意味不明で良いな。
根本的に好きな音階やリズムで作られているのだろうなぁと思う。
僕個人の、コンビニエンス物語を描こうと、ぼんやり再考。

木曜日, 5月 11, 2006

再会と、不安を胸に

昨晩電話があって、久しぶりにノリクンと会った。彼が部屋に遊びに来て、それでだべりながら、Mac の調整などをする。CD のダビングやゲームの貸し借り。何も変わらぬ対象物と世界をまたにかけている友人達。猫の鬱は大きな声で鳴いた。
僕は久しぶりに鉛筆を握っていた。
深夜に「From A 東海版」(リクルートグルプ/1995-)を買いに走った。コンビニエンスストアは実に便利だ。明日購入してしまうと、そこでまたタイムラグが起こってし まうのを許さない。そんな引き締めた気持ちに、今晩の bnap06 ミーティングの後にはなった。渡航関連の決定事項が確定。どんどんシンプルな状況になる!
再会と、不安を胸に。

水曜日, 5月 10, 2006

小学生中学年の横着、即ち愛情の枯渇と欲求

仕事というものは丁寧にしなければ駄目だ。丁寧にしなければ、出来ることも出来なくて終わってしまう。丁寧にしてギリギリなところで、自分の限界値が上が るようなのだ。まるで、RPG の経験値概念のように、僕の絵画教室も何回目かの教室で、幾つかのレベルになっているようだった。今日は、各自がモチーフを固めて制作などをしたが、教室 体験の女の子もいることも手伝って、男の子がはしゃいでしょうがない。
チョーシにのっている子どもたち。
それは、おそらく僕の言動から生まれでてしまったもの。
この教室の中で、許されることと、許されないことがあることを、子供は空気からサッと読み取る。
丁寧にしなければいけないということは、昨夜もコンビニで思ったばかりだったのに。
いつもこんな風ではいけない。
突然に僕らを襲う悲劇は、人の生き死ににまつわることで、避けては通れない出来事だった。
ちゃんと、丁寧にしておかなければ、その出来事に向かうことはできないだろう。
子供は無垢に、信じている。
全ての大人が丁寧で真摯に、自分達に接してくれるものだと。
疑いの無い前提を持っている。
やがて、自らの中で目覚める怠惰と暴力。それは愛情の枯渇と欲求そのものであった。

雨の中を帰宅した。西春駅前の仮設店舗に、パン屋さん「TOKI」がリニューアルオープンしていた。四年前くらいに、商店街から姿を消した店だ。入ると、 ほとんどが売り切れてしまっていた。きな粉をまぶしたスティックバーを求める。お客さんが、パン屋の復活にお帰りなさいと言っていた。僕もそう思う。

火曜日, 5月 09, 2006

血が歯茎から大量に吹き出す

症状が良くなっていたので、連休中は歯医者を休んでいた。
連休が終わったので、歯医者への通院が再開された。
保険証の更新も無事済み、歯の根っこへの投薬も無事にゴリゴリと済んだ。
昼過ぎ、ぱんだ歯科より出てすっきり。磨き残しのある箇所に赤色でチェックをされた半ペラの指導書を持って、家の洗面所の壁に貼る。クリアケースに入れ て、裏に巻いたテープを付けて、展示完了。これを見ながら磨くと、意識するので良いはず。今晩は、かつて歯茎からの血はどんどん出せと指導してきた小学校 のころに通っていた地元の歯医者と、やわらかくソフトに磨かなきゃと言う声と、穏やかなクラッシックの流れる ぱんだ歯科と、どれを選べばいいのかしらと思う。だが、僕は鉄の軸に水をよく濡らし、母親から頂いた、イオンの力で歯垢を集めるという歯磨きを使って、あ まり歯磨き粉は付けず、ぶしゅぶしゅ血を噴き出しながら磨くのであった。今度、ぱんだ歯科にて質問しなければいけない。そのときに、かつての歯科女医が僕 に申したことも併せて伝えなければいけない。
そうするつもりだ。
そうするつもりだ。

幾つかの、僕自身のアートワークを眺める。
明日、連休明けの絵画教室に、新しい女の子が来るらしい。
電話が鳴ってきた。
メールももらっていた。
DVD-R を入れるプラケースに入れた、コラージュによるジャケット。
僕自身のアートワークによる。

月曜日, 5月 08, 2006

豚レバーの意識

連休明けで、町はもとの生活に再起動。僕は変わらずアルバイトと思索の日々だ。
念入りに仕事を進める君を横目に、僕は先に決めた bnap06 の作品プラン展が、プロジェクトとしてはともかくとして、僕個人に出来得るのかということを考えていた。手も動かさずに考え、くだらない思念を持って半分 どうでもよくなっていた。そもそも、プランを公開することには、意図や意味が前提として存在している。大彫刻作品や公共事業の模型。試行のマケット。そん なものを作ったことが、かつてあったか。僕のほとんどのそれは企画書やドローイングであろう。ならばそれで良いんだけれどもね。静かに目を閉じ、行く先々 の町や訪れた町のことなど。写真を普段撮らない男が、海外旅行だからといってカメラをしょいこむとどうなるかということなどを思い浮かべる。

猫の鬱は、すっかり白いベンチソファーを気に入り、自分のものだと思っている。
バイトから帰ってきてから、豚レバーの生姜煮を食べる。白い御飯にとてもよく合う。
ンマイ、ンマイ。
レバーを食べると、小学生のときに、弟が通っていた眼科医に同じく通っていた同級生の家族の一番下の男の子が、レバーを生で食べていたのを、いつも思い出す。

日曜日, 5月 07, 2006

アサリと春キャベツの鍋蒸し

穏やかになった部屋。アンプは電源を入れる前に、ボリュームツマミを慣らすように回しておくと、ガリガリ言わないようだ。昨日までとは、うって変わっての 雨が連休の最後の日曜日。見事に打たれて、タイミング悪く、買い物や CDを中古に売り飛ばしにいったりした。後は、もう出かけないぞと決め込んで、映像編集の仕事や、個人的な趣味としての DVD編集。要らない CDが千円になってくれた。棚ぼたで、今夜はアサリと春キャベツの鍋蒸しを食べる。旬のアサリは安くて美味しい。先日の「きょうの料理」(NHK教育 /1955-) で高山なおみさんが作っていたものだ。
アサリ漁をするお婆さんとの会話が面白かった。アサリが採れる場所を、広い海から即座に見つけることができるお婆さんに、高山さんが、どうしてここだとわかるんですか? と尋ねると、お婆さんは、ここにアサリがあるからだよと答えていた。

それから、けっこう遅くまで作業などを、もぞもぞする。
濡れて重くなったジーパンは、玄関に干しておいた。

土曜日, 5月 06, 2006

小松氏のカレーライス、煙草吸わない僕ら

バイト稼業ながらも、曜日の感覚が無くなってきていて、朝起きると戸惑う。

お昼はお暇なバイト。夜は小松氏宅に遊びにいった。
連休中の地下鉄はゆっくりしている。穏やかに座席につくことができ、ゲームボーイをしながら市内へ向かった。
自転車で小松氏が迎えに来てくれ、彼がお昼から仕込んだというカレーライスを頂く。御飯は黄色をしたターメリックを混ぜたもので、凝りに凝られていた。美味しかった。サラダは、アボガドとチーズなどが練り込まれ、カレーと同じ香辛料が混ぜられているらしかった。
彼の近況。僕の近況。
先日、東京でのこと。松田さんに会ったことや、yukotopia に行ったこと。六年前に作っていた、ブルーマヨネーズ各種資料。チラシのみならず、ワープロで作った企画書などを出してきた。これら書類に詰められた言葉の端々に、生々しい我々の姿を見ることができる。
ひととおり、笑って、僕は何度かシャッターを押し、これからもいろいろ働かなきゃねという話になった。あれから、これから、だなと。句読点や半角空け、全角空けの使い分けによる、テンポについての自意識は、六年前、いやそれ以上前から相手にしている意識だった。
「ネット電話の「skype」を入れて、また話そうぜ」
って、言って別れ、また電車で帰宅した。

眠る前に、細野晴臣がネイティブアメリカンを尋ねていく番組「黙って、座って、じっと聴け」(NHK-BS2/1997)をビデオで見た。
細野本人が、ネイティブアメリカンの価値観に強く惹かれ、その文化が凝縮されているという「成人の儀式・ビジョンクエスト」を受けようと渡米する。案内人として出てきたネイティブは、映画監督で、細野を彼らの聖地に連れていく。
ビジョンクエストは、行くあてもなく彷徨い、飲み食いもほとんどない経験だという。それを受ける為には、前準備が一年から五年かかるらしい。その為、この見学案内を、ビジョンクエストと呼ぶなと細野は言われる。
注目すべき箇所は、多いのだが、素晴らしかったのはネイティブ・アメリカンの言葉。それは世界観そのもの。白人中心の西洋文化が放棄してきた視点が存在するとのナレーションに頷く。ネイティブアメリカンの煙草を崖の上で吸うときに、彼は言った。
いま抱えていることや、こうなりたいと思っていることを全て煙に吐き出せ。心の中でそう思え。世界中には幾億という人が生きているが、いまここで煙草を吸っている僕と君だけが、少しだけ分り合うのだと。

金曜日, 5月 05, 2006

母親という名前のゲーム

絵がうまくいかなかった。
自分のやっていることを絵だと称することについてを考えた。
詩と、絵。何食わぬ顔でアルバイトをする。連休の晩。ゆっくりと過ごそうとしていた。ずうっと温かく、不快なことはない身体で。
虫歯も良い方向へ向かっている。
自律神経失調症という名前を、小学校の高学年で知り、卒業式に倒れる子に、すがろうとする姿を見た。画も言葉も、あれからずっと扱ってきている。
味御飯をレンジで温め、じゃこと卵を一緒に炒め、どちらも白い皿に盛ってみた。ワンプレーとは楽ちんで良い。
昨日に引き続き、アンプ使用。豆球で部屋を照らす。母親という名前のゲーム。
見事にゲームは画と言葉。音楽、凝縮している。
僕らの姿についてを、まるでこのゲームかドラマか映画の登場人物のように例えて告げてみた。電話を寝る前にした。内容はそれ。

木曜日, 5月 04, 2006

家族で音楽を聴く

昨日、三重の実家から、アンプを拝借してきた。
起きてすぐにそれを、じたばたして繋いだ。
父親が当時購入したもの。
「PIONEER STEREO AMPLIFIER A-700」(1979)。ノンスイッチング回路を採用したプリメインアンプというものらしい。よく分らんが、とにかくブイーという低音のノイズが無くなって、すごく音がクリアで奇麗になった。
いろいろ細かく調整できるし。
レコードのみならず、ミニコンポを繋げて、CD、テープ、テレビにファミコン、iPod や Mac からも出力できるようにした。
何を聴いても気持ち良い。

それから、写真屋さんに行ったり、長い首の亀に餌をあげたり、鯛焼きを買ったり、白黒映画の 五百円 DVDを買ったり、猫と戯れて、団地の家でツツジなどの花の名前を呼んだり。
世界は常に混沌で、何も答えや意味などない。
本当は絵や生き方など教えることはできない。教えることと、学ぶことは違う。昨日の三重県立美術館で見たチリーダの言葉を思い出す。

豆電球のスタンドを部屋に持ち込んだ。
吉田氏より、映像のイベントのお知らせ電話を貰っていたのに、受けることが出来ず、向かえなかった。残念。申し訳なし。
小松氏と電話。アンプの導入の際に配線をやり直していて、そのときに電話線とネット線を互い違いに入れていたみたいで、家電話で話せなかった。
電話機が壊れていたわけではなかったので、一安心。
「Bad Timing」(Jim O'rouke/1997)を聴く。アンプで美しく増幅させて。

僕は絵を描いた。
君が去った後の部屋で、これらの音楽を聴きながら。
猫がグルーミングをしている、静かな畑の絵だ。遠くのお寺から、カラオケが聴こえてくる。
夕ご飯についてを、これから語ろうとしている姿を思い浮かべる。

http://dragcity.com/bands/jimo.html

水曜日, 5月 03, 2006

彫刻は詩、一日だけの帰省

車をお借りして、一日だけの帰省をした。
下りの高速道路の渋滞の中の一台。
それが我々の乗る車で、CDが回って、中で音楽が流れている。
天気は上々。
ぽかぽかであった。
四日市あたりで待たされている。
家族連れの後部座席で、中高生らしい男の子が、白いイヤホーンを耳に付けてふてくされている。
iPod の普及。個人テレビの普及。揺らぐ天皇制。戦争論、コンパ論。
「予感」(ohana/2006)を聴き、ユニット名の「ohana」はハワイの言葉で「家族」だと聞く。こんにちは、じゃない。それは「aroha」。
おそらく。
二台前の車から、突然おじさんが降りて出てきた。何かあったのかと思ったら、キョロキョロしたあと、道路の脇で立ちションをしはじめだした。
あちゃー。でも仕方ない、おじさんは我慢の限界。膀胱炎になるよりは。それにしたって、この道は丁度道路幅の狭い部分なので、脇が近くて困る。
おまけに照りつける太陽。その跡もそこだけ濡れて残るよ。すぐ渇くか。
さっきの中高生が、じいっとおじさんの背中を見ていた。
僕はおじさんから目をそむけながら、その中高生を見ていた。
君よ。少年であった僕自身よ。君がもしいま堪えきれない尿意に襲われたならば、どうするか。
何が正しくて何が間違っているのか。
上り線はガラ空きであった。そこを右翼の街宣車が何台も走って行った。
名古屋駅東口、新宿西口、大結集か。国民の祝日は彼らが躍起になる日なのか。
軍歌まき散らし、太陽は春を覚えさせてくれた。
また僕らはコーヒーや水を飲む。パンをほうばり、たこ焼きや焼きそば、夜には家族とお好み焼きを食べた。 お昼頃に、津の三重県立美術館に到着した。僕はリニューアル後に初めてだ。
企画展「エドゥアルド・チリーダ」。
20世紀の大作家の一人であろう、その仕事の、ほんのチョビッとを舐めた感じ。広く浅く、齧った程度。というのも、チリーダの作品は所謂、公共空間に生き る設置作品なので、規模も大きいし、運ぶことが可能なものではない。よって、ドローイングや版画、マケット、小作品などが並ぶこととなる。それでも、この 企画巡回は国内初のようだから凄いのだが、大きく貼り出された図版を見ると、この展覧会程度では、チリーダを鑑賞したとは言えないなぁと、思わざるを得な いくらい設置作品は凄い。
本物なんだけど、本物を味わっていない感じで歯痒い。
チリーダの空間意識は、時間のことと絡んで、やわらかい間を作り出している。白と黒の版画も鉄の立体も、四角く途切れる終端が集う辺りが、逆に空間を豊かに感じさせてくれる。
見ていて、飽きない作品だった。
こう書いていて、それは明解で凄いことだなと思う。
インタビューなどを交えたビデオには、チリーダが工場で実際に作業員らと鉄を曲げたり焼いたりしている現場が映っていた。それと、天窓のある白いアトリエ。スペインの穏やかな自然。
いつか、このチリーダ美術館に行ってみたいなと思った。
また、新設された資料室で見たカタログに、海岸に設置された彫刻の写真が載っており、これも凄く良かった。コピー機のサービスがあったら、その写真だけコピーしたかった。

新しく併設されていた柳原義達記念館も見たが、デッサンを入れたマケットの上にタイトルが印字されているのが気になって、どうも見辛かった。チリーダ展 も、常設展も、少しタイトルの文字が大きすぎる印象を持つ。特に、学芸員や研究家が付けたような便宜上のタイトルなども多いから、逆に鑑賞の幅を狭めてし まう欠点があるように思えた。この美術館には、小学校のときから来た覚えがあるし、この大きなタイトル文字で展示する三重県美術の要素に高校生の自分が浸 かっていたのなら、これは悪い意味だけではなく影響を、受けていたのかもしれないと深読みする。
帰郷は、自分の原点に帰る行為だった。それは非常に分りやすく、具体的に残されていて、それを見て考えることができるものである。

雨も降っていないのに、高速道路の脇の一部分だけが濡れている。
脳の中の刺激や運動を、三次元に現出させることが美術作品なのだと、中沢ヒデキが美術手帖の最新号に書いていた。
記号としての言葉だけではない、様々な言葉を介し、僕らは常に伝えあっている。
それらは段階的な問題ではなく、時間に左右されない現象だ。
犬や猫のことを考える。
彼らには、人間のような時計の針が刻む時間の概念が無い。
だが経験としての時間はある。
家族は、何があろうが永遠に家族だ。
そこに到達や、達成という段階概念は無い。
経験としての時間だけを、家族は持って生きている。

絵で見て、探していた花屋に行った。
それは経験した場所のように思えた。
着き次第に挨拶をして、言葉と共に花を渡す。
愛犬は妊娠をしていた。
暖炉にくべる木っ端に、弟が書いた家族の名前があった。
「体力の無い者が、体力会社と言って、何を願っとるんや」

http://www.kimochiwaburenai.com/
http://www.eduardo-chillida.com

火曜日, 5月 02, 2006

革命以前、革命以後

深夜、バイトを終えて外に出た瞬間、上着を着て来なかったことを後悔した。
昨晩とはうって変わって、えらく寒い。
これは体調を崩します。我慢して、少し離れたレンタルビデオの店のポストへ、返却放り込みに自転車を飛ばす。
帰宅して、速攻で上着を着て、再度外出する。
連休期間内だが、翌朝は、雑誌古本類の収集日なのだ。明日は朝から出かけるので今晩中に捨てる計画。
前回、徒労になってしまった不燃ゴミ捨ての往復作業と同じように、同じ指定場所に往復する。今回は既に、他の雑誌類も捨ててあるので安心だ。ここで大丈夫である。何度もゴミ出しガイドにも目を通したし。
四往復して、フライングゴミ出し終了!
今日は、お昼に古本屋に売れそうな本や雑誌も売りに行った。
そしたら予想外にも、千円にもなってくれてゴキゲンであったのだ。
売る前に、西山氏らに欲しい本はあげたりもしたし。
これで残すは瓶や缶の資源ゴミ類と、ハードディスクにダビング待ちの VHSビデオ。そして作っていないプラモデル類のみが未処理となった。
いや、これから行く先々のリサイクル店などで、気に入った机なんかがあったときは、いま使っている机と取り替えるやも。こんな可能性は、掃除前には不可能で皆無だったなぁ。革命以前、革命以後。
僕は既に自分が長く見ていて、見なくても思い出せる物を捨てていった。
それはいつでもまた見ることができる。

月曜日, 5月 01, 2006

言葉を言うときに

暑いくらいで、目眩が、きっとする。こんな夏日に信号の向こうまで一気に走ったら。
ビデオ編集の頼まれ仕事の際に、君が撮影した映像を見た。
それはすごく良かった。
編集なんていらない、初めと終わりだけ決めれば、それで完成していると思った。
頼まれ仕事はまた明日もするとして。
今夜はカレーを食べた。
豆がたくさん入っていて美味しかった。でも、猫の鬱がテレビやネットのコード線を噛もうとするので、落ち着いて食事を堪能できなかった。
君の名前を呼ぶ瞬間に、幾つかの言葉が口先でうずまく。
音になる前の空気の流れ。舌先の形状がそれを作っている。
それは既に言葉で、君のあだ名にすり替わる。
いまは、ゆっくりとした時間のなかで、丁寧な文章をしたためるべき時だ。
五月一日。
小学生の同級生に、今日が誕生日の女の子がいて、名前がそれを表していた。
その音階を言おうとするとき、その瞬間。僕の小学生のときに発していた言葉と同じ空気が口のなか、口先にて発生している。
その後で発音される言葉は、まったくの別物で異なる。
僕は二十七歳になっているし、世界は 2006年という西暦を数えているのだ。
全く別ものの言葉で、誕生日おめでとうと言っている。